建艦競争と軍縮条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:35 UTC 版)
第一次世界大戦の終了直後には、ユトランド沖海戦の戦訓を取り入れた主力艦の熾烈な建造競争が、残された大海軍国である米・英・日で始まった。日本においても戦艦による艦隊決戦構想により41センチ砲搭載の戦艦8隻、巡洋戦艦8隻からなる「八八艦隊」の建造が計画されたが、1922年、ワシントン海軍軍縮条約が締結され、新規建造が制限されると、列強各国の建艦競争は一応の終息を迎えた。これを海軍休日(Naval Holiday)と呼ぶ。 ワシントン海軍軍縮条約においては建造中の未完成戦艦の廃艦が求められたが、ここに日本と諸外国との間で「陸奥」を完成艦として保有を認めるか未完成艦として廃艦するかの駆け引きも起こった。 同条約においては航空母艦の所有排水量にも各国ごとの枠が設けられたが、当時航空母艦はまだ生まれたばかりの艦種であり各国ともその枠に大きな余裕があったため、廃艦とした未完成の戦艦や巡洋戦艦を航空母艦に改装して完成させる例が見られ、その結果としてレキシントン級航空母艦や「赤城」、「加賀」、「ベアルン」といったそれまでになかった大型の航空母艦が生まれた。しかし当時はまだ航空母艦艦載機の攻撃力・航続距離など性能全体が低く、実戦で戦果を示す機会もなかったため航空母艦は補助的な艦として見られており、海軍の主力は引き続き戦艦であるとみなされていた。 1934年に同条約が破棄されるまでの間、各国は既存艦の近代化改装などで現有艦の質的向上に力を注いだが、欧州では敗戦後、造船能力を取り戻しつつあるドイツが1933年にポケット戦艦ドイッチュラント級を建艦したことと、ロンドン軍縮条約に参加しなかったことで1933年から新戦艦建造の権利をフランス・イタリアが得たことで、ドイツ・フランス・イタリア三国で建艦競争が勃発した。 フランスが「ダンケルク級」を造れば、イタリアは「コンテ・ディ・カブール級」と「カイオ・デュイリオ級」の近代化改装と「ヴィットリオ・ヴェネト級」の建艦に着手し、ドイツも「シャルンホルスト級」と「ビスマルク級」を造った。その後、ドイツ・イタリアの15インチ砲戦艦に対抗するためにフランスはダンケルク級の二番艦「ストラスブール」の重装甲化と正38cm砲戦艦「リシュリュー級」の建艦に踏み切った。ロンドン軍縮条約によって1937年まで新戦艦建造ができなかった英国は、欧州の中型戦艦対策に唯一速力で対抗可能な既存の巡洋戦艦「フッド」とレナウン級2隻の小改装により当座をしのいだ。
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