日清戦争と日露戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 12:33 UTC 版)
朝鮮半島は東アジアにおいて古代より、地政学的に攻守上重要な位置を占めていた。日清の関係もまた朝鮮を巡って軍事衝突が避けられる情勢にはなかった。近代になると日本ではイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどをはじめとする欧米列強による帝国主義の脅威が迫るなかで、安全保障上の理由から、大陸からの玄関口である朝鮮半島(李氏朝鮮)に対し開国を求めた。李氏朝鮮は開国を否定し日本を仮洋夷(西洋に毒された国)として国交を断絶した。日本では、この開国拒否問題(仮洋夷問題)を発端に西郷隆盛・板垣退助・江藤新平らによる征韓論が展開。そして1875年の江華島事件を理由に日朝修好条規を要求し、李氏朝鮮を「開国させる」ことに成功した。日本は朝鮮の親日派勢力であった閔妃一族の内政改革派(維新派)を支持したため、1882年に親清派(保守派)の大院君が漢城に設置された日本公使館を襲撃、日清両国が軍事介入して壬午事変が起こった。清は事変の首謀者である大院君を拉致・抑留し、事変後に親清派に寝返った閔妃らが結成した事大党と協力し、朝鮮の政治・軍事の実権を掌握した。朝鮮での影響力が低下した日本は開化派の金玉均率いる独立党と手を組むことにする。1884年、清仏戦争の混乱に乗じて独立党が甲申事変といわれる事大党・閔妃に対するクーデターを計画、日本は独立党を支援したが袁世凱率いる清軍により失敗、翌1885年に伊藤博文と李鴻章の間で天津条約が結ばれ、日清両軍が朝鮮から撤退することが決まった。また将来、朝鮮の変乱に日清両国が出兵する場合は事前に相互通知することも決めた。1886年には長崎寄港中の清国北洋艦隊水兵によって暴動事件が引き起こされた(長崎事件)。 1894年に朝鮮半島で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると清は上述の天津条約に従って通知を行い李氏朝鮮に出兵、日本も出兵してそれが日清戦争に発展する。「眠れる獅子」と言われていた清は日清戦争で大敗し、翌1895年に下関条約で遼東半島・台湾を日本に割譲することや法外な戦争賠償金の支払いなどを認めた。これにより台湾に総督府が設置されることになり、日本の台湾統治が終戦まで続くことになる。自由民権運動が盛んになり、明治憲法も発布され、殖産興業も着実に進行し博覧会なども催されたが、その中の人類館での人種差別的な展示を巡って近隣アジア諸地域との間で問題がおきた。また、尾崎行雄は新聞記者として清に赴き、現地取材などを通して「支那の未開さ」を根拠に大陸侵攻を強く主張した。一方、内村鑑三は当初戦争に対して肯定的であったものの、後に「非戦論」を唱えるようになった。また、北一輝は亜細亜モンロー主義を掲げてアジアを開放するのは日本だと主張した。これらに対して、内藤湖南は支那文化の独自性に着目して京都帝国大学で支那学の発展に寄与した。 清国内では租界や租借地が形成されて「列強による分割」も加速度的に進行していた。それに取り残されていた米国のジョン・ヘイは門戸開放宣言を発し、中国の門戸開放・領土保全・機会均等を訴えて中国市場への介入を企てた。日本の明治維新を高く評価した黄遵憲の『日本国志』は、康有為らによる変法自強運動に大きな影響を与えたが、1898年に西太后による戊戌の政変が起きて沈静化した。1900年には、義和団が「扶清滅洋」を唱えて反帝国主義運動を展開した。清朝廷はこの北清事変を支持したが、満州や朝鮮半島の利害を巡って対立していた日露や他の列強の八カ国連合軍による軍事介入と北京議定書によって外国軍が北京に駐留することになり、清は巨額の賠償金を請求されて弱体化する一方であった。 その後、ロシア帝国は満州支配を強める傾向にあり桂内閣はロシア帝国の南下政策に共通の懸念を持っていた大英帝国と1902年に日英同盟を締結してロシア帝国との対決姿勢を整え、1904年に日露戦争を開始する。日本海海戦などでの日本の勝利を経て、米国大統領の仲介でポーツマス条約が結ばれ日本の満州と大韓帝国の権益が確保された。しかし、賠償金が得られずそれを不服とした日本の民衆が日比谷焼打事件を起こした。日本はロシア帝国との協商も続けつつ、1906年、関東都督府を旅順に設置、南満州鉄道株式会社も同年に設立して「満州経営」の基盤を固め、「満蒙特殊権益」論を展開していく。そして1910年には大韓帝国を正式に日本と併合した。これを以って、大日本帝国が名実ともに国際的に認知されることになった。一方、日本国内では、立憲政友会の結成などで尾崎行雄・犬養毅らが登場すると、護憲運動が始まって「憲政の常道」が慣習化していく。
※この「日清戦争と日露戦争」の解説は、「日中関係史」の解説の一部です。
「日清戦争と日露戦争」を含む「日中関係史」の記事については、「日中関係史」の概要を参照ください。
- 日清戦争と日露戦争のページへのリンク