日清レイヨン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)
紡績会社日清紡績(現・日清紡ホールディングス)と矢作水力の共同出資により、1933年(昭和8年)2月12日、日清レイヨン株式会社が設立された。 共同出資の相手となった日清紡績は、1907年(明治40年)の設立に際し福澤桃介も参加(設立時の専務取締役兼筆頭株主)した会社である。福澤は3年で同社の経営から手を引いたが、名古屋電灯社長時代に供給区域内である名古屋への工場建設を呼びかけ、日清紡績名古屋工場建設の契機をつくるなどその後も関係を持った。昭和に入って日清紡績がレーヨン(人造絹糸)製造への進出を企画した際、福澤は矢作水力の供給区域へのレーヨン工場建設を同社に対して要請する。この結果、日清紡績と矢作水力、それに福澤の友人川崎八右衛門が経営する川崎第百銀行の出資で日清レイヨンの設立をみた。資本金は1000万円で、出資比率は日清紡績68.8パーセント・矢作水力21.2パーセント・川崎第百銀行10パーセントである。 日清レイヨンは愛知県岡崎市美合町を工場用地に選び、1934年(昭和9年)4月より操業を開始した。その4年後の1938年(昭和13年)9月25日、日清レイヨンは日清紡績に合併され、工場は日清紡績岡崎レイヨン工場(後の美合工場)として引き継がれた。
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