日清戦争と欧州列強とは? わかりやすく解説

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日清戦争と欧州列強

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 08:14 UTC 版)

三国干渉」の記事における「日清戦争と欧州列強」の解説

日清戦争中、日本勝利間近に迫ると、列強も事の重大性認識する至り干渉考え始めた主導国はロシアであったが、ドイツ参加なければ干渉実現しなかったとも言われる。西にドイツ脅威控えていたロシアは、ドイツ干渉参加により東に深入りしやすくなったからである。 さらに下関講和会議遼東半島割譲日本要求していることを知った列強衝撃受けた列強清朝衰退乗じて清国分割」を進めてきたが、清国内の抵抗危惧してその動き緩慢なものであり、戦争による賠償得たイギリス領香港例外として、露骨な領有権要求差し控えてきた。だが、日本要求はこの列強間の「暗黙の了解」を無意味にするものであり、さらに清朝渤海挟んで直隷現在の河北省)と向かい合った遼東半島を失うことで、その政治的権威失墜し国内政情不安定になるような事態発生は、各国の対清政策根底から揺るがすものであった。そこでドイツロシア自国の対清政策維持するために、この日本要求容認できない考えた1895年4月8日ロシア帝国政府は「日本旅順併合は、清国日本良好な関係を結ぶことにたいして永久的障害となり、東アジアの平和の不断脅威となるであろう、というのが、ヨーロッパ列強の共通の意見である——ということを、友好的な形式日本申し入れる」ことを、列国提議した一方、同じ4月8日イギリスでは閣議開かれ、「極東問題」に対すイギリス政府基本方針話し合われ日清講和に対して不干渉政策採用することが決定した。すなわち共同干渉には参加しない方針定まったのである。ここで、ドイツ帝国日本に対してイギリス共同干渉するつもりであったのに、イギリス不参加ということになり、ロシア呼びかけ応じこととした。 講和会議過程日本清に対して開市開港場での製造業従事要求していたものの、日本にはそれを実現させるだけの資金的裏づけがなかった。そこで日本は、秘かにイギリスに対してのみ、この要求事実打ち明けて共同経営誘い行っていた。これが他の列強知られたため、この話に与れなかったドイツロシアフランス姿勢をさらに硬化させることになった

※この「日清戦争と欧州列強」の解説は、「三国干渉」の解説の一部です。
「日清戦争と欧州列強」を含む「三国干渉」の記事については、「三国干渉」の概要を参照ください。

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