日清戦争の頃までとは? わかりやすく解説

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日清戦争の頃まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 17:00 UTC 版)

譚嗣同」の記事における「日清戦争の頃まで」の解説

字は復生。号には、壮飛、相衆生、東海褰冥氏、通眉生、寥天一閣主などがある。湖南省長沙府瀏陽県の人。父は湖北巡撫という地方大官にまで上りつめた譚継洵であり、したがって生まれという点からいえば、譚嗣同名門貴公子分類されるであった本籍地瀏陽であるが、実際に生まれたのは北京武城というところである。生まれた時、すでに譚家には二人の兄二人の姉がおり、譚嗣同末っ子であった。ただ家庭的に恵まれず、彼が12歳の時、ジフテリア北京蔓延したため、母親二人の姉を亡くしている。譚嗣同自身感染したが、奇跡的に回復し、このことにちなんで「復生」(=復活回生)という字を父より与えられている。実母失った後、父の妾に虐げられ家庭内では孤立深めた。彼が中国伝統的な家族制度大家族妻妾制)に反感抱いたのは、この少年期体験影響与えているためであった譚嗣同は、10歳の時より同郷内閣中書欧陽に就いて科挙向けの受験勉強開始した。ただ通常の高級官僚の子弟と異なるのは、譚嗣同がこの科挙受験のための学問、すなわち 朱子学をひどく嫌悪し当時正統的分類されていた学問好んだ点である。たとえば魏源龔自珍といった今文経学家の著作を特に好んで読書しているし、また湖南大儒王船山の『船山遺書』も愛読書一つであったさらには16歳時に同郷の涂大囲に就いて算学修め自然科学についても興味示している。19歳時には墨子』や『荘子』を初めて手に取り感銘受けている。 名門貴公子ならざる点は、他にもある。譚嗣同12歳の時より大刀王五のもとで、武術修行にも明け暮れた大刀王五は、本名王正誼といい、単刀使い名手として中国中に知られ武術家で、旅人荷物護送請け負う標客としても有名であった譚嗣同は、大刀王五から武術のみならず侠客心意気学んだといわれ、科挙受験勉強明け暮れる青白い繊細なインテリという柄ではなかった。むしろ豪放磊落気取り粗暴な行動もあった。こうした譚嗣同行動背後には、科挙謹厳実直な父への反発があったと考えられている。 1877年光緒3年)、父譚継洵が甘粛省湖北省官僚として赴任すると、譚嗣同北京甘粛湖北の間を行き来するうになるが、時に寄り道をして中国各地放浪した。この放浪は、大刀王五が属す秘密結社ネットワーク助け借りて行われた考えられているが、この放浪により中国置かれている過酷な現状譚嗣同認識し、そこから政治変革への志向芽生えていったのである譚嗣同の短い人生のうち、最も大きな転機となったのが1895年光緒21年)の日清戦争敗戦である。この時譚嗣同30歳となっていたが、清朝敗北衝撃を受け、科挙ためにする学問経典字句考証血道をあげる考証学といった現実から遊離した学問から決別し改革のための学、すなわち経世致用の学志すうになる。「壮飛」という号は、この時の心機一転する自分につけたものであった経世致用の学の手始めとして、譚嗣同がまず着手したのは郷里瀏陽に「算学」の学校建てることであったこの他 アンチモニー鉱山開坑マッチ工場設立計画している。譚嗣同経世致用の学実践とは、西欧知識基づいた科学教育産業振興といった洋務運動的なものを意味していたのである譚嗣同は、30歳1895年)までに6度省試科挙のうち省レヴェル行われる試験)を受験したが、全て落第している。そのため1896年光緒22年)に父親捐官寄付により官職購うこと)で江蘇知府候補という身分入手した赴任地南京へ行く途上中国各地立ち寄っている。この旅行譚嗣同にとって非常に有意義だった中国への認識深めるとともに譚嗣同思想と行動に深い影響与え人物との出会いいくつもあったためである。 まず上海ではジョン・フライヤー(中国名雅)を訪ねキリスト教西欧自然科学知識得ている。最も大きなフライヤーからの影響は、ヘンリー・ウッド著“Ideal Suggestion Through Mental Photography”(1893)を漢語訳した『治心免病法』を入手したことであろう譚嗣同代表作『仁学』は、『治心免病法』に大きな示唆得ている。次に南京では楊文会出会い仏教のめり込んでいる。そして楊文会のもとで仏教学びながら、先述の『仁学』を書き上げたのである

※この「日清戦争の頃まで」の解説は、「譚嗣同」の解説の一部です。
「日清戦争の頃まで」を含む「譚嗣同」の記事については、「譚嗣同」の概要を参照ください。

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