日清戦争を勇戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 05:06 UTC 版)
明治25年3月2日に陸軍歩兵少尉に任官し、歩兵第1連隊附を命ぜられ第4中隊に配属される。同年7月6日に正八位に叙される。西久保の優秀な勤務態度から作業の点検を歩兵第1旅団長の乃木希典少将が直々に行われるという栄誉に与る。明治27年8月30日をもって清国との国交は断絶され戦時体制に入り、西久保も翌9月24日から出征する。第2軍隷下に編入され東京を発ち10月16日宇品港より出港、10月24日清国花園口に上陸する。石拉子高地の戦闘に参加し金州城を攻略、11月21日に旅順付近の戦闘に参加し翌日には饅頭山の砲台を占領する。金州・普蘭店・熊岳城を経て明治28年1月10日蓋平城を攻略、2月24日小平山の戦闘に参加し3月6日には営口を攻撃する。4月17日に平和克復となり5月22日大連港より東京に渡り6月9日復員する。この間所属が第2中隊、第1中隊と変わり、歩兵中尉に進級した。明治28年6月25日第1師管軍法会議判士を命ぜられ、同年10月12日勲六等単光旭日章を受章、年金70円を下賜される。
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