ないとう‐こなん【内藤湖南】
ないとうこなん 【内藤湖南】
内藤湖南 ないとう こなん
内藤湖南
内藤湖南
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内藤 湖南(ないとう こなん、1866年8月27日(慶応2年7月18日)[1] - 1934年(昭和9年)6月26日)は、近代日本の東洋史学者。名は虎次郎(とらじろう)。字は炳卿(へいけい)。湖南は号。別号に黒頭尊者。白鳥庫吉と共に戦前を代表する東洋学者であり、戦前の邪馬台国論争、中国における唐宋変革時代区分論争などで学界を二分した。
- ^ 戸籍上は慶応2年5月27日(1866年7月9日)
- ^ 岡村敬二「内藤湖南生誕の地 毛馬内を訪ねて」
- ^ 父の十湾は実際に吉田松陰に会っている。
- ^ 父の「十湾」と子の「湖南」は十和田湖からの命名である。
- ^ 秋田市史 1998, p. 299.
- ^ a b 『京都帝国大学一覧』京都帝国大学、1927年、327頁。
- ^ 『官報』第8196号、明治43年10月14日、p.397
- ^ 『帝国学士院一覧 昭和2年』帝国学士院、1927年、83頁。
- ^ 『官報』第3443号「叙任及辞令」1924年2月18日。
- ^ 『官報』第3449号「叙任及辞令」1924年2月25日。
- ^ 内藤虎次郎「應仁の亂に就て」『日本文化史研究』弘文堂書房、1924年、180-218頁。
- ^ 内藤湖南「応仁の乱に就て」『内藤湖南全集』第9巻、1969年。
- ^ 勝俣鎮夫『戦国法成立史論』東京大学出版会、1979年。
網野善彦『日本中世の非農業民と天皇』岩波書店、1984年。
井上章一『日本に古代はあったのか』角川学芸出版〈角川選書〉、2008年。ISBN 978-4047034266。
呉座勇一『応仁の乱―戦国時代を生んだ大乱』中央公論新社〈中公新書〉、2016年10月。ISBN 978-4121024015。 - ^ 呉座勇一「内藤湖南、応仁の乱を論じる」『国際日本文化研究センターインターネット放送』2017年9月26日 。国際日本文化研究センターインターネット放送
- ^ a b c d 岡本隆司「内藤湖南「支那論」のすごさ」『文藝春秋』91(13)、2013年12月号、356-363頁。CRID 1521417755628631424
- ^ a b c 岡本隆司『近代日本の中国観 石橋湛山・内藤湖南から谷川道雄まで』講談社選書メチエ、2018年。ISBN 978-4065123522。「第3章 内藤湖南 「近世」論と中国社会」
- ^ a b c d e f g 内藤湖南『支那論』文藝春秋〈文春学藝ライブラリー〉、2013年。ISBN 978-4168130038。與那覇潤「解説」329-341頁。
- ^ 小林義廣「内藤湖南と『支那目録学』」『研究論集 第16集〔特集〕内藤湖南研究(その2)』、2022年。28頁。
- ^ 于伝鋒『中国における内藤湖南研究』北海商科大学 博士論文、2019年。NAID 500001364435。44頁。(書籍化: 于伝鋒『中国からみた内藤湖南思想研究』風詠社、2021年)
- ^ 三浦一郎『世界史こぼれ話1』p.147
- ^ 三田村泰助『内藤湖南』より
- ^ 『支那絵画史』は、各・小部数で1967年に弘文堂(初版の復刻)、1975年に筑摩書房(全集の改訂)で刊行。2002年に短期で品切したが、ちくま学芸文庫(現行かな表記、解説曽布川寛)も刊行。
- ^ 『先哲の学問』旧版は、筑摩叢書(1987年)
- ^ 『日本の名著41 内藤湖南』(小川環樹責任編集、中央公論社、1971年、新版・中公バックス、1984年)を改訂
- ^ 2013年10月に創刊、最初の発行書目
- ^ 著者は東北大学教員、2017年に『内藤湖南的中国史像』で中国語出版(北京:社会科学文献出版社)。蔵書資料の整備や「全集」復刊もあり、21世紀に入り中国語圏の研究者により研究成果が相次ぎ刊行している。
内藤湖南
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その中で大正時代の大正3年(1914年)に東洋史研究の歴史学者の内藤湖南が出版した『支那論』は大きな反響を呼び学問的な影響を広めた。出版物の支那論の影響で支那分割論が一大ブームを呼んだ。東洋史学者として名声を博していた内藤は日本の明治維新の成功を、日本の市民階層と言うべき商工業層を明治政府側が掌握したことが大きいとして、孫文の失敗を中国の市民階層と言うべき郷党・父老の歓心を買わなかったことが最大の原因であるとした(もっとも、郷党・父老こそ中国皇帝政治の核心部分を見出していた孫文に中国統治は不可能だと見なしていたことの裏返しでもあった)。更に顧炎武・黄宗羲の議論を引用して、中国には強力な中央政府は不要で、軍閥の分割統治による連邦共和制がもっとも妥当な線であると述べ、漢民族は世界の労働力として貢献すれば将来において十分発展できるのであるから、国家としての中国の発展は別問題とすべきであると論じ、暗に漢民族に統一国家は不要であると述べたのである。
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