応仁の乱の日本史における意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 06:34 UTC 版)
「内藤湖南」の記事における「応仁の乱の日本史における意義」の解説
1921年(大正10年)の講演「応仁の乱に就て」では「一体他流試合と申すもので、一寸も私の専門に関係のないことであります」といういささか挑発的な前置きをしつつも、「大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知って居ったらそれで沢山です。それ以前の事は外国の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後は我々の真の身体骨肉に直接触れた歴史であつて、これを本当に知って居れば、それで日本歴史は十分だと言つていいのであります」と発言している。この発言は多く日本中世史を論じるときに引用されている。
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