応仁の乱と織田氏の分裂とは? わかりやすく解説

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応仁の乱と織田氏の分裂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:27 UTC 版)

織田氏」の記事における「応仁の乱と織田氏の分裂」の解説

織田氏主君である斯波氏7代当主斯波義淳没後8代義郷・9代義健と短命当主続き家中実権執権甲斐氏をはじめ織田氏朝倉氏などの重臣層と、斯波一族大野家などが握っていた。やがて重臣層と一族衆対立深刻化し寛正6年1465年)には重臣層が推す渋川義鏡の子義廉と大野家出身の義敏が家督巡って対立する武衛騒動が起こることとなった。 この争い将軍家畠山氏家督相続連動したため、応仁元年1467年)の応仁の乱勃発、義廉と甲斐氏織田氏などの主だった重臣層は西軍となり、義敏と斯波一族、そして一部重臣やその庶流東軍となり争った。この時、義廉は京都西軍主力として戦い、義敏は守護職回復狙って越前戦っている。また義敏の子義良(義寛)は尾張居た思われ文明7年1475年遠江国東軍である駿河守今川氏侵攻を受け、同じく東軍であった遠江守護代甲斐敏光とともにこれを防ぎ今川義忠敗死追い込んでいる。しかし、越前国では西軍から東軍寝返った朝倉孝景越前守護を称して西軍勢力越前から一掃していき、さらに文明13年1481年)頃までには朝倉氏は同軍であり主君でもある義敏・義良親子勢力駆逐してしまった。この間、義廉も将軍足利義政不興買って管領職・三ヶ国守護職・斯波氏家督全て剥奪され都落ち余儀なくされている。 尾張国では、守護代織田敏広伊勢守家)が西軍ということもあって西軍優勢な地域であったこの頃尾張守護所下津城(中島郡)から清洲城(春日井郡)に移されたという。このため都落ち余儀なくされた義廉も尾張落ち延び、敏広とともに勢力巻き返しを図ることとなった。しかし、応仁の乱終結した翌年文明10年1478年)、東軍であった尾張守護代織田敏定大和守家)が室町幕府第9代足利義尚から正式な尾張守護代と認められると、敏広と義廉は兇徒断じられて討伐対象指定され清洲城追われた(義廉は以後記録には見えなくなる)。しかし、伊勢守家は、織田敏広岳父であった美濃国斎藤妙椿(旧西軍)の支援得て盛り返し清洲城包囲した。この時、織田敏定は右目に矢を受けたという。 翌文明11年1479年)、再三幕府介入により、織田敏広斎藤妙椿清洲城包囲解き尾張上四郡(丹羽郡葉栗郡中島郡春日井郡)を伊勢守家、尾張下四郡(愛知郡知多郡海東郡海西郡)を大和守家治めることで和睦したとされる(しかし、実際に知多郡海東郡一色氏分郡守護であった)。文明13年1481年3月伊勢守家は大和守家争って勝利した織田敏広の後を継いだ寛広は斯波義寛(義良)に帰順した文明15年1483年)には京から尾張下向した斯波義寛清洲城入城し守護斯波義寛守護代織田敏定体制尾張ひと時安定期迎えた守護・義寛のもとで安定化した尾張であったが、長享元年1487年)に近江守護六角高頼攻め長享・延徳の乱)が起こると義寛は両織田氏率いて将軍元に陣した延徳3年1491年)には、斯波氏織田敏定赤松氏浦上則宗両名は、第10代将軍足利義稙から戦功評され剣が与えられている。また、その後六角氏との簗瀬河原での合戦でも幕府主力として織田敏定浦上則宗若狭武田氏逸見弾正の名が見える。義寛は将軍家越前侵攻支援望んでいたが、明応2年1493年)の明応の政変により越前奪還の夢は完全に潰えることとなった

※この「応仁の乱と織田氏の分裂」の解説は、「織田氏」の解説の一部です。
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