応仁の乱の影響と牧野田蔵系の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 07:18 UTC 版)
「牧野保成」の記事における「応仁の乱の影響と牧野田蔵系の台頭」の解説
もと三河守護職家の一色義直に仕えた牧野平三郎成興の子・忠高(右京進)には実子が無かったらしく、これを養子として継いだのが成種であったが、牧野城・瀬木城・今橋城と築城し守護一色氏の郡代一色時家の被官から自立への道を歩む牧野田蔵系に比して、応仁の乱に敗れた西軍一色義直の直臣であった牧野平三郎系を引き継いだ出羽守一族は保成の頃には守護家一色氏の後ろ盾もなく、その東三河における立場は微妙であったと思われる。
※この「応仁の乱の影響と牧野田蔵系の台頭」の解説は、「牧野保成」の解説の一部です。
「応仁の乱の影響と牧野田蔵系の台頭」を含む「牧野保成」の記事については、「牧野保成」の概要を参照ください。
- 応仁の乱の影響と牧野田蔵系の台頭のページへのリンク