仮装巡洋艦として
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「アーティフェクス (工作艦)」の記事における「仮装巡洋艦として」の解説
第二次世界大戦の脅威が迫ったことでオーラニアは1939年8月30日に海軍本部に徴用され、イギリス海軍の仮装巡洋艦オーラニア(HMS Aurania, F28)として6インチ主砲を始めとする武装が搭載された。改装作業は1939年10月2日に完了した。就役後は北大西洋の船団護衛任務に就いた。当初は北方海域の哨戒、続いてバミューダ及びハリファックス護衛部隊、さらに北大西洋護衛部隊の任務に充てられた。 1941年10月21日、オーラニアはハリファックスからクライドへ向かうSL 89船団の護衛として出航した。オーラニアは他の4隻の仮装巡洋艦と共に船団の後方に陣取っていたが、そこでラインハルト・ハーデガン率いるドイツ海軍のUボートU-123(英語版)に発見された 。U-123は午前4時28分にオーラニアに対して魚雷3本を発射、うち2本がオーラニアの艦首と艦橋下に命中した。オーラニアの第3船倉に浸水が始まり、艦体は左舷に25度傾斜した。しかし、オーラニアの積荷であった空のドラム缶が浮力材の役割を果たしたため沈没は免れた。艦長アイヴァン・ウォルター・ホワイトホーン大佐は艦の傾斜を15度まで回復させることに成功し、オーラニアは再び航行を続けた。その間、U-123は船団の他の護衛艦艇によって追い払われた 。 混乱の中でオーラニアから6名の乗員が乗った1艘の救命ボートが降ろされたが、そのボートは着水したとたんに浸水してしまった。護衛艦艇の1隻であったハント級駆逐艦クルーム(英語版)(HMS Croome, L62)が3名を救助したものの残りは見つからなかった。数時間後、U-123が沈みかけたボートに近付き、生存者1名を発見して捕虜にした 。傷ついたオーラニアはスループトットランド(英語版)(HMS Totland, Y88)に護衛されながら10月23日にロスシー湾(英語版)へ着いた 。オーラニアは生き延びたものの、ドイツ側はオーラニアを撃沈したと主張した。
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