戦争時の運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 16:18 UTC 版)
「ルシタニア (客船)」の記事における「戦争時の運用」の解説
当初、イギリス政府はルシタニアを武装商船として徴用することを前提として資金援助をおこなった。実際に1913年、機銃や弾薬が乗客に秘密裏に運び込まれ、船首に設置されテストされた。 第一次世界大戦が始まると、イギリス海軍本部はルシタニアを仮装巡洋艦として徴用することを検討したが、ルシタニアの艦の特性から石炭の消費が大きいこと、その巨体から攻撃の標的にされやすいこと、また、標的となった際に乗務員が危険にさらされることから、仮装巡洋艦には不適当であると判断し、代わりに小規模の貨客船を使用するとした。 以上の理由から、イギリスは大型の客船を徴用しない・徴用する場合には輸送船や病院船に回す、という方針を打ち出した。姉妹船モーリタニアは輸送船として徴用されたにも関わらず、ルシタニアはキュナード・ラインによってアメリカ合衆国 - イギリスを結ぶ豪華客船として運航され続けた。ただ経済的理由から、ルシタニアの航海は月1回とされ、第4ボイラーを閉鎖して速度を21 ノット (39 km/h) 程度に落として運航された。しかしそれでも当時のUボートの速力10 ノット (18.5 km/h) より高速であった。 1915年2月4日、ドイツ帝国はイギリスの周辺海域に封鎖海域を設定し、2月18日周囲を通過する船舶は警告無しで撃沈するという「無制限潜水艦作戦」を実行した。しかし、当時は完全な「無制限」ではなく、厳密な臨検手続きの上で戦時禁制品の搭載があれば、乗員の退避後処分 (撃沈若しくは拿捕) する規定になっていた。ただし、この規定は艦隊の中にあったり、軍艦の護衛など戦争行為を行っておれば臨検手続きを省いて撃沈することができるというものであった。 ルシタニアは1915年3月6日、定刻通りにリヴァプールに到着した。イギリス海軍本部は潜水艦を避けるため、駆逐艦が不足しているにも関わらず、ヘンリー・オリバー提督によって駆逐艦ルイス (HMS Louis) とレーブロック (HMS Laverock) を護衛につけ、さらにQシップであるライオンズ (HMS Lyons) を送り込んだ。しかしルシタニアの船長ダニエル・ダウ (Daniel Dow) は、見慣れない軍艦が追ってくるのを見て、駆逐艦ルイス、レーブロックは本物の護衛なのか、ドイツ海軍の偽装による接近であるのかに疑問を持ったため、護衛であったルイス、レーブロックを避けるようにしてリヴァプールに到着した。 1915年4月17日、ルシタニアは再びリヴァプールを出港した。この航海はルシタニアの201回目の航海となるものであり、4月24日にニューヨークに到着した。
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