仮装巡洋艦コロネルとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:17 UTC 版)
「トーゴ (夜間戦闘機指揮艦)」の記事における「仮装巡洋艦コロネルとして」の解説
1942年遅くにトーゴは仮装巡洋艦 (Hilfskreuzer)に改装された。通商破壊巡洋艦 (Handels-Stör-Kreuzer, HSK) 「コロネル」となる予定のトーゴはドイツ海軍内では「HSK 10」として知られ、「軍艦14号」(Schiff 14)と命名された。イギリス海軍では「襲撃艦 K」(Raider K)と呼んだ。この艦は、1914年11月にマクシミリアン・フォン・シュペー提督がチリの沖合でイギリスの巡洋艦隊に対して勝利を収めたコロネル沖海戦に因んで命名されるはずであった。 ロッテルダムのウィットン=フェイエノールト造船所とシュテッティンのシュテッティナー・オーデルヴェルケ(Stettiner Oderwerke)造船所で改装を受け、1942年12月に再就役した。武装は6門のTK15 15 cm砲、6門の4 cm 対空砲、4門の連装2 cm機関砲、数門の単装2 cm機関砲を装備していた。 3機の航空機を搭載できるように設計されていたが、実際にこれらが搭載されることは無かった。 エルンスト=ルートヴィッヒ・ティーネマン(Ernst-Ludwig Thienemann)大佐が艦長に就き、士官16名と兵員331名が乗船した。 敵の意表を突くことに賭けて「14号艦 コロネル」は1943年1月31日にノルウェーを出発し、イギリス海峡を抜けて大西洋へ進出することが計画されたが、この艦の存在は暗号解読ULTRAを通じて既にイギリス側に知られていた。大規模な機雷敷設艇や哨戒艇の護衛を伴っていたが嵐と機雷原に阻まれ、加えて2度も砂州に座礁したこともありズリュト、ダンケルク、カレーに途中停泊し2月10日に無事ドーバーの沿岸守備砲台の援護下に入った。その後度重なる空からの攻撃を受けて爆弾による損害を被り、ブローニュに入港せざるを得なくなった。占領下のフランスの港で修復するには損害が大きすぎたためドイツ本国へ回航する必要が生じ、3月2日にキールに到着した。 ドイツの仮装巡洋艦は公海上へ出てから艦長により命名されるという慣習があったため、海峡突破に失敗した本艦は正式に「仮装巡洋艦 コロネル」(Hilfskreuzer Coronel)とは命名されず残りの戦争の期間は艦名「トーゴ」のままであった。
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