航行能力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:39 UTC 版)
江戸前期の廻船は順風帆走や沿岸航法しかできず、大坂から江戸までは平均で32.8日、最短でも10日も要していた。しかし上記の弁才船の改良や航海技術の発展により、江戸後期の天保年間には同じ航路を平均で12日、最短では6日と大幅に短縮されている。この事は当然ながら年間の稼働率を向上させ、年平均4往復から8回へと倍増し、上記の船型の拡大も併せて江戸の大量消費を支えた(逆に江戸末期になると供給過多なため、船型の制限が行われるようになっている)。 特に新綿番船や新酒番船に至ってはレースとしての側面から、前者は1859年(安政6年)に大坂・浦賀を50時間、平均7ノット、後者は西宮から江戸までを1790年(寛政2年)に58時間、平均6.5ノットの記録を出している。新酒番船は他にも3・4日という記録は珍しくなく、18世紀末では5日を切るのが普通とされた。この競争はクリッパーの様に廻船の運航技術向上に大きく貢献した。
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