ローラーパス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 23:15 UTC 版)
「五十口径三年式二〇糎砲」の記事における「ローラーパス」の解説
砲塔(砲室)がスムーズに旋回するようにリングサポート最上部の円周上には多数のローラーが設置される。これをローラーパスといい、スラストローラーベアリングの一種である。砲塔旋回部はその上に置かれているだけとなる。
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ローラー・パス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 22:58 UTC 版)
「カリフォルニア・トレイル」の記事における「ローラー・パス」の解説
1846年頃からは、ジョセフ・アラム隊がドナー湖南に別の経路を見つけた。このルートは現在のカリフォルニア州トラッキーを過ぎ、ドナー湖南のコールドストリーム・キャニオンを登り、ドナー峠の南約2マイル (3 km) にあるジュダ山とリンカーン山の間の標高7,800フィート (2,400 m) の鞍部に至るものだった。この経路は標高が幾らか高い所まで登る必要があったが、それほど急峻ではなく、ローラー・パスと呼ばれた。牛を頂部まで引いていき、長さ約400フィート (120 m) の鎖を荷車に繋ぎ、12頭以上の牛で最後の急傾斜面(仰角30度)を荷車を引き上げた。鎖の摩擦を小さくするために頂部にある丸太(ローラー)に鎖を巻きつけさせた。(ローラー・パスの地図)荷車を分解したり積荷を降ろしたりする必要が無かったので、頂部に至るかなり速い方法だったが、荷車、人、動物および荷物を全て運び上げるために2,3日あるいはもっと長い時間を要した。1848年から1849年頃、開拓者の大部隊が最後の頂部にスウィッチバック式の道をつけて、ローラー・パスを越えるために鎖やローラーの必要性を排除した。峠からは西に向かって岩だらけの山の斜面を見ることができ、目的地に到達するまでにはまだ約80マイル (130 km) の大変で危険な努力を必要としていた。 この頂部から道は岩がゴロゴロしている道を下って、高山湖から流れ出るユバ川の南支流に向かった。頂部の後の最初の休憩地点は、数マイル先にある美しいサミット・バレー(現在は大半がレイク・ヴァン・ノーデン貯水池になっている)だった。 道はシエラネバダ山脈西斜面を下り、大きな石灰岩巨礫や多くの岩の露出部と険しい斜面を過ぎて、エミグラント・ギャップを通過した。州間高速道路80号線にある歴史標識には「1845年の春、最初の幌馬車隊がシエラネバダ山脈を克服した。彼らは渓谷を発し、尾根に上り、旧エミグラント・ギャップまで西進し、ロープを使ってベアバレーの底に下りた。ゴールドラッシュの前、その間、そして後に多くの者達が続いた。ここは山岳を抜ける移民の道の中でも障害となった場所だった」と書かれている。大半の移民は休息のためにベアバレーに留まってからサッターズ砦までの残り約70マイル (110 km) に進んだ。1925年頃に建設された当初のリンカーン・ハイウェイは、ドナー峠に至るシエラネバダ東部の山道を何度も急なスウィッチバック方式で登った。今日、カリフォルニア州とネバダ州の州間高速道路80号線の一部は、「40マイル砂漠」から、トラッキー川、ドナー峠、サクラメントなどほぼトラッキー・トレイルの経路を辿っている。 最終的にトラッキー・トレイルの枝道が幾つか開発された。道の一部はセントラル・パシフィック鉄道の建設が1864年に開始されたときに、かなり改良された。ネバダに物資を運ぶ金を稼ぐためにダッチ・フラット・ドナー湖有料馬車道が建設され、ダッチ・フラットからネバダ州ベルディまで労働者も運んだ。
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