ヴァリャーグ (防護巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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ヴァリャーグ (防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 14:09 UTC 版)

ヴァリャーグ
1901年に撮影された「ヴァリャーグ」
基本情報
艦歴
発注 クランプ造船所
起工 1898年10月
進水 1899年10月31日
就役 1901年
除籍 1916年4月4日(日本海軍)
その後 イギリスで抑留のまま漏水着底
要目
常備排水量 6,550 トン
全長 129.6 m
最大幅 15.8 m
吃水 6.3 m
機関
竣工時:
ニクローズ式(宗谷:宮原式)石炭専焼水管缶30基
+三段膨張型四気筒レシプロ機関2基2軸推進
出力 20,000 ihp
最大速力 23.0ノット (42.6 km/h)
燃料 石炭 1,250トン
航続距離 10ノット (19 km/h)
乗員 560 - 570名
兵装
竣工時:
1892年型 15.2cm(45口径)単装速射砲12基
1892年型 7.5cm(50口径)単装速射砲12基
オチキス 4.7cm(43口径)単装機砲8基
オチキス 3.7cm(23口径)回転式機砲2基
水中魚雷発射管単装6基
宗谷:
15cm(45口径)単装速射砲12基
8cm(40口径)単装速射砲10基
オチキス 4.7cm(43口径)単装機砲2基
45cm水上魚雷発射管2門
45cm水中魚雷発射管2門
装甲
  • 主甲板:38 mm(平坦部)、76 mm(傾斜部)
  • 司令塔:152 mm(最厚部)
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ヴァリャーグ(ヴァリャーク、ワリヤーグ;ロシア語: Варягヴァリャーク)は、ロシア帝国海軍防護巡洋艦Бронепалубный крейсер)で同型艦はない。本艦は日露戦争仁川沖海戦の際に大日本帝国海軍との交戦で大破した時に、艦長が降伏より自沈を選んだことでその武勇を称賛された。自沈後に大日本帝国海軍に鹵獲され、修理されて二等巡洋艦「宗谷」となったが、第一次世界大戦時にロシア帝国に返還されて旧名に復したという希有な艦歴を持つ武勲艦である。竣工時の艦名は、古代ルーシ時代の「ヴァリャーグ」に因む。

艦形

1904年2月9日、仁川での戦闘で損傷した「ヴァリャーグ」。

船体形状は艦首甲板の乾舷のみ高い短船首楼型船体を採用している。この時代の軍艦の特徴として艦首水面下に突出した衝角魚雷発射管を持つ艦首から「15.2cm(45口径)速射砲」を防楯の付いた単装砲架で並列で2基を配置。

司令塔を組み込んだ艦橋の左右に船橋が設けられ、舷側ケースメイト配置で3番 - 6番主砲が片舷2基ずつ配置された。艦橋の後方に簡素な単脚式の前部マスト、等間隔に立つ4本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷4基の計8基により運用された。単脚式の後檣の舷側ケースメイト配置で7番 - 10番が後向きに配置された。そして後部甲板上に11番・12番主砲が後向きの並列で2基を配置された。 この武装配置により前後方向に15.2cm砲4門、左右方向に最大15.2cm砲6門が指向できた。

主砲、その他の備砲・水雷兵装

本艦にも装備された「Pattern 1892 7.5cm(50口径)速射砲」。写真は巡洋艦「グロムボイ」のもの。

主砲はフランスのカネー社の15.2cm砲をライセンス生産した「1892年型 15.2cm(45口径)速射砲」を採用した。その性能は41.4 kgの砲弾を、最大仰角20度で11,520 mまで届かせられた。この砲を単装砲架で12基を配置した。俯仰・旋回能力は甲板上で仰角20度・俯角6度で360度の旋回角度を持っていたが実際は上部構造物により射界を制限された。舷側ケースメイトでは仰角20度・俯角5度で旋回角度は100度であった。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に人力を必要とした。発射速度は1分間に7発であった。

他に対水雷艇迎撃用にフランスのカネー社の7.5cm砲をライセンス生産した「1892年型 7.5cm(50口径)速射砲」を採用した。これを単装砲架で12基、オチキス 4.7cm(43口径)機砲を単装砲架で8基、オチキス 3.7cm(23口径)5連装ガトリング砲を単装砲架で2基を搭載した。他に水線部に45cm水中魚雷発射管を単装で6門を搭載した。

艦歴

1916年、ポートサイドで停泊中の「ヴァリャーグ」。

主な人物

エピソード

  • 本艦はロシア革命後にイギリスに抑留され、その間に漏水によって沈没したが、2007年9月8日、沈没地点に近いイギリススコットランドレンデルフト英語版にブロンズ製記念碑が建立された。ロシアの関係団体が主導し、除幕式には同国のチトフ外務次官らが出席した。
  • 日露戦争当時のヴァリャーグで使用していた旗がロシア海軍中央博物館ロシア語版に保管されている。これは仁川メトロポリタン博物館の保管物を借り受けたものである[2]
  • 艦上で使用されていたは引き揚げ後に博多の磯野鉄工場が所有していたが、1908年(明治41年)1月21日福岡県立修猷館高等学校が寄宿舎開設6周年を記念して鉄工場主から購入し、明治末から大正年間にかけて寄宿舎の号鐘として用いられた[3]。現在は同校の資料館で展示されている[3]

脚注

  1. ^ 『官報』第6634号、明治38年8月10日。
  2. ^ englishnews@chosun.com (2012年8月20日). “Russia Wants to Extend Loan of Historic Flag”. 2012年9月22日閲覧。
  3. ^ a b 菁莪編集委員会『菁莪 2021年』2021年1月31日、38-40頁https://shuyukan-dosokai.com/manager/wp-content/uploads/2021/02/seiga2021_web.pdf2025年1月12日閲覧 

参考文献

  • 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
  • 「世界の艦船増刊第32集 日本巡洋艦史」(海人社

関連項目

外部リンク



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