南京事件 (1927年)
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南京事件(ナンキンじけん)は、1927年(昭和2年)3月24日、北伐の途上において、蔣介石の国民革命軍の第2軍と第6軍を主力とする江右軍(総指揮・程潜)が南京を占領した際に発生した、日本・アメリカ・イギリスの領事館や居留民を虐殺・暴行・殺害・略奪・強姦し、おびただしい数の犠牲者を出した大量虐殺事件。北伐軍(国民党または共産党)、南京撤退時の軍閥、南京住民のいずれかによるものとされる[1]。
- ^ a b c 南京事件. コトバンクより。
- ^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 4.
- ^ a b c d e 中支被難者連合会 1927, p. 7.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 5.
- ^ 『もうひとつの南京事件-日本人遭難者の記録』52頁
- ^ a b c d e f 水間 2015, pp. 6–9
- ^ a b c d e f g 「全身血を浴びて倒れた根本少佐と木村署長 鬨を揚げて押寄せた暴兵」 『大阪朝日新聞』 1927年3月30日 (神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 国際労働問題(9-026))
- ^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 34.
- ^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 38.
- ^ a b c d 中支被難者連合会 1927, p. 6.
- ^ 中支被難者連合会 1927, pp. 7–8.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 9.
- ^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 12.
- ^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 13.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 14.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 15.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 16.
- ^ a b c 佐々木到一『ある軍人の自伝』 普通社〈中国新書〉、1963年。
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 26.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 27.
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 28.
- ^ 『南京漢口事件真相』
- ^ 日本領事館・邦人商店も略奪される『大阪毎日新聞』昭和2年3月26日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p539 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b 石川禎浩『革命とナショナリズム 1925-1945 シリーズ中国近現代史3』岩波新書,2010年,p26-29
- ^ a b 実松譲『米内光政秘書官の回想』光人社、1989年、25-27頁。
- ^ a b 拳骨拓史『「反日思想」歴史の真実』
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 59-64.
- ^ 当時の革命ロシア(ソ連)側の立場から蔣介石を糾弾するプロパガンダ映画、『上海ドキュメント』(Шанхайский документ,Shangkhaiskii Dokument,Shanghai Document,ヤコフ・ブリオフ監督 1928年)に共産党弾圧の様子が記録されている。
- ^ ソビエト連邦の諸外国との外交関係樹立の日付
- ^ a b 蔣介石秘録7
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 37.
- ^ ソ連は「北清事変」議定書を破棄していたので、中国側の捜査を拒むことができないとされた。
- ^ 児島襄『日中戦争1』文春文庫p.83。
- ^ 中支被難者連合会 1927, p. 196-200.
- 1 南京事件 (1927年)とは
- 2 南京事件 (1927年)の概要
- 3 日本の対応
- 4 中華民国の声明
- 5 資料
- 6 外部リンク
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