府院の争いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 府院の争いの意味・解説 

府院の争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/24 05:02 UTC 版)

府院の争い(ふいんのあらそい)とは、中華民国北洋政府)初期の1916年から1917年にかけて、中華民国大総統黎元洪国務総理段祺瑞の間で行われた政治闘争である。総統と国務の争いであることから「府院の争い」と呼ばれる。表面的には当時の諸問題に対する政策の衝突であるが、その根底には当時の中華民国がその政治体制のモデルにしたフランス半大統領制におけるコアビタシオン状態があり、さらにその根底には黎元洪と段祺瑞の心情的対立があった。この争いは1917年5月23日に黎元洪が段祺瑞を罷免することで一応の決着を見るが、事態はすでに調整型の黎元洪の手に負えなくなっており、1917年7月1日の張勲復辟を経て7月17日に黎元洪が大総統を辞職、強権型の段祺瑞が国務総理に返り咲いて政権を取った。


  1. ^ 政事堂国務卿:後に改組して国務総理。内閣の首班で首相に相当する。
  2. ^ 山東省奉天省吉林省黒竜江省河南省直隷省浙江省江蘇省湖北省江西省綏遠省察哈爾省熱河省の13省
  3. ^ 督軍:各省の軍事長官。袁世凱時代に都督から督軍に改称された。
  4. ^ この時、張勲自身は天津に残っていた。


「府院の争い」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「府院の争い」の関連用語

府院の争いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



府院の争いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの府院の争い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS