民国時代とは? わかりやすく解説

民国時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 16:56 UTC 版)

伍廷芳」の記事における「民国時代」の解説

1911年辛亥革命がおこると伍廷芳革命支持し12月南北和議では南方軍政府の代表となっている。1912年中華民国成立すると、南京臨時政府司法総長となり、海外での経験基づいて司法権の独立強く主張した。しかし4月袁世凱権力を握ると、辞職して上海寓居した。1916年袁世凱死去して黎元洪大総統になると、伍廷芳段祺瑞内閣外交部長となった1917年府院の争い段祺瑞黎元洪解任されると伍廷芳総理代理となった。しかし張勲黎元洪国会解散を迫ると、伍廷芳解散署名拒否して辞職したその後孫文招きに応じて広州護法軍政府広東軍政府)の外交部長となった1921年孫文が非常大総統となると伍廷芳外交部長財政部長・広東省長を兼任した

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民国時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:34 UTC 版)

中国の経済史」の記事における「民国時代」の解説

中華民国建国初期金融市場貨幣流通はかなり混乱した全国各地貨幣私鋳され洋、站人、本洋などの外国の銀本位ドルや、広東湖北江南安徽などで鋳造され吉林貨、東三省貨、奉天貨、更には民国造幣局貨、平壌貨、清朝銀貨など、流通する貨幣数十種あり、この多様さが経済交流経済発展障害となった1912年1913年に、中華民国財政部両次設立幣制委員会はこの幣制上の問題について論議したが、結果無く散会となった1914年2月17日国幣条例公布され中国銀本位制採用したことが規定され銀元国貨とするよう定めた1914年12月1915年2月天津造幣局江南造幣局統一貨幣鋳造するようになり、民国銀円成立した1935年から国民政府新しい不兌換法定貨幣発行し中国500年わたって続いた銀本位制解消した。しかし大量に発行したことにより悪性インフレーション招いた1948年8月からは金円券発行され始めたが、1949年7月流通停止した10カ月程度流通であったが、インフレーションのために2万倍以上の通貨切り下げ行い大陸民の経済損失はとても大きいものであったため、中国国民党支持失った1949年7月中華民国政府金円券廃して銀円券発行した。しかし銀円券発行同時に中国大陸政局段々と変わり銀円券民国とともに勢力弱め価値大幅に下落した。そして最後は、中国共産党発行する人民元に取って変わられた。

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