民国時代の画家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)
高剣父(こうけんふ、1879 - 1951年) - 辛亥革命や抗日運動に参加し、革命画家と呼ばれるが、若い時は日本に留学したこともある。その後、政治運動を離れて画業に専念する。私立南中美術院を設立し、多くの後継者を育てた。嶺南派の祖と呼ばれる。 劉海粟(りゅうかいぞく、1895 - 1994年) - 江蘇武進の人。日本と欧州に留学経験がある。上海美術専科学校を設立し、デッサンの指導に中国ではそれまで一般的でなかった人体モデルを使うなど、改革に努めた。 徐悲鴻(じょひこう、1895 - 1953年) - 江蘇宜興の人。1919年から1927年にかけてフランスに留学し、パリのエコール・デ・ボザールに学んだ。帰国後は南京の国立中央大学芸術系主任を務め、中華人民共和国成立後は中央美術院院長を務めた。画風は社会主義レアリスムの系統で、特に馬の絵で知られる。 張大千(ちょうだいせん、1899 - 1983年) - 「東洋のピカソ」と称される、近代中国を代表する書画家。四川内江の人。大千は号で、諱は爰(えん)。19歳の時に日本の京都に留学し、染色を学んだ。敦煌に長期滞在し、莫高窟の壁画を模写したこともある。第二次大戦後はアメリカやブラジルに住み、国際的に活動した。中国画に西洋画の手法を取り入れた作品で知られるが、晩年は台湾に住み、目を悪くしたこともあって、水墨画を主に描くようになり、溌墨を多用した。
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