民国期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 19:41 UTC 版)
民国初期に北洋政府が漢陽兵工廠の生産設備を更新、これにより漢陽兵工廠は引き続き88式小銃の製造を続け、この頃金陵兵工廠の生産設備も更新され、88式小銃の生産を開始する。その後軍閥が割拠するなか、生産設備の更新等が不可能となり生産経費も削減された為、両工廠とも生産が断続的となった。1928年になり国民革命軍が武漢と南京を占領すると、その生産は安定し始める。 中正式小銃の生産に成功すると、国民政府は88式小銃の生産設備を中正式に改めようとしたが、日中戦争勃発により計画は延期、漢陽、金陵の工廠も国民党と共に重慶へ疎開した。疎開と同時に漢陽兵工廠の生産設備が21廠(金陵兵工廠改組後の番号)に移設、88式小銃の生産が単一工場へ集約され、鞏県兵工廠の小銃部門が爆撃を受け中正式小銃の生産能力が大幅に低下した為、88式小銃は日中事変においても未だ主要兵器に位置を占め、21廠の88式小銃は1944年迄生産が続けられ、工廠内の設備が中正式生産用に完全に改められ漸く停止したものの、大量に生産された事から国内の各勢力において使用され、朝鮮戦争でも依然としてその姿を見る事ができた。朝鮮戦争終結後中華人民共和国はソビエト連邦より新型兵器の大量供与をうけ、88式小銃は漸く実戦部隊より退き、民兵部隊では1980年代迄見る事ができたという。
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