改組後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:58 UTC 版)
2009年7月、中国のウルムチ市でムスリムのウイグル人が虐殺されるウイグル騒乱が発生、AQIMは中国政府への復讐を宣言している。 2011年1月、チュニジアのジャスミン革命では「チュニジアはシャリーアに基づくイスラム国家になるべきである」として反政府勢力を支持、ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー政権打倒の軍事支援を実施している。同年2月、リビア内戦においても、反政府勢力への支援を宣言した。リビアの最高指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーはAQIMの反カダフィ勢力への介入を非難したが、10月20日に殺害されて内戦は終結した(ムアンマル・アル=カッザーフィーの死)。 2012年、トンブクトゥへ進出。市内において世界遺産の遺跡を破壊するとともに、カダフィ大佐がトンブクトゥに所有していた住居を占拠。マリ北部における活動拠点の一つとした。 2012年12月、組織内の対立から指導者の1人、後にアルジェリア人質事件を起こすモフタール・ベルモフタールがAQIMを離脱。2013年1月、フランスがマリの武装組織に対して行った軍事介入(セルヴァル作戦)により、打撃を受けることとなった。 2016年1月15日、ブルキナファソの首都ワガドゥグで、外国人客も利用するホテルとレストランが武装勢力の襲撃を受け、20人以上が死亡。AQIMが犯行声明を出した。 2019年1月20日、マリ共和国北部テッサリト圏の国際連合マリ多元統合安定化ミッション(国際連合平和維持活動)部隊の駐屯地が武装勢力の襲撃を受け、チャド人の隊員10人が死亡、少なくとも25人が負傷。AQIMが犯行声明を出した。 2020年6月3日にフランス軍がマリ共和国北部で行った掃討作戦の結果、最高指導者のアブー・ムスアブ・アブドゥルワドゥード(英語版)が殺害された。
※この「改組後」の解説は、「AQIM」の解説の一部です。
「改組後」を含む「AQIM」の記事については、「AQIM」の概要を参照ください。
- 改組後のページへのリンク