改組と拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 16:16 UTC 版)
1934年から1936年にかけて、副総統ルドルフ・ヘス、内務大臣ヴィルヘルム・フリック、経済大臣ヒャルマル・シャハト、労働大臣フランツ・ゼルテらは、DAFの法的地位を明確化する法律を制定するため、ライを交えて協議した。各大臣はDAFを省庁の下に置こうとし、ヘスは党の立場を強く主張した。しかしやがて問題はドイツにおけるナチ党の法的扱いという大問題に行き当たり、結局DAFの法律は成立しなかった。 1938年初頭、ライは四カ年計画全権ヘルマン・ゲーリングのもとにDAF、経済会議所、労働会議所、職業教育の4つの法案を持ち込んだ。これらの法案はいずれもDAFの権力を著しく拡大させるものであり、大半の閣僚、党官房のヘスとマルティン・ボルマン、親衛隊のハインリヒ・ヒムラーらの猛烈な反対を受け、一気に叩き潰された。この頃には官庁の力は党に比べてかなり弱まっていたが、党内でのライやDAFの地位は決して高いものではなかった。しかし法的地位とは無関係に、DAFはひたすら拡大を続けた。
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