改組派への参加
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1928年(民国17年)夏、汪兆銘(汪精衛)を支持する国民党左派の重鎮・陳公博が「国民党改組同志会」(いわゆる「改組派」)を結成すると、顧孟余もこれに参加し、反蔣介石の政治活動を展開していく。そのため翌年3月の国民党第3回全国代表大会において、顧は蔣らから党籍停止3年の処分を受けてしまうが、上海で創刊した雑誌『前進』などで反蔣の言論活動を継続している。1930年(民国19年)における反蔣派による北平拡大会議にも参加した。 満州事変(九・一八事変)勃発後の大同団結に伴う1931年(民国20年)11月の国民党第4回全国大会において、顧孟余は党籍を回復し、中央執行委員・中央政治会議委員に任ぜられた。さらに翌年3月には国民政府鉄道部部長に就任する。1935年(民国24年)12月、党第5期中央執行委員に当選し、さらに国民政府交通部長に転じた(ただし実務は兪飛鵬が代理した)。
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