改編と終焉とは? わかりやすく解説

改編と終焉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 22:16 UTC 版)

浅野部隊」の記事における「改編と終焉」の解説

1944年9月関東軍情報部長土居明夫少将は、当時の情勢上からできるだけ対ソ刺激避けることを目的として、従来秘密部隊であった浅野部隊一般部隊に切り替え白系ロシア人青年団体訓練所たるものとするよう改編行った。元コサック大佐ヤコフ・スミルノフを満州国軍上校特別任用して隊長とした。スミルノフ上校以下、幹部全員白系ロシア人軍官となり、情報部から中野学校出身将校下士官教育錬成管理全般指導顧問として派遣される仕組みとなった兵士一般満州国軍同様に志願者から採用し在営年限9年半が標準とされた。部隊創設以来長く隊長だった浅野節上校は、ハルビン情報本部で、白系ロシア人部隊運営訓練に関する4班顧問となった1945年4月関東軍総参謀長秦彦三郎中将は、内外情勢鑑み、対ソ緊急措置一環として白系ロシア人部隊解散するよう指示した。こうして6月上旬までに松花江主力部隊当時在隊兵員250名)、海拉爾部隊在隊兵員150名)、横道河子部隊在隊兵員50名)および森林警察訓練所は、全部解隊された。その後隊員の中で希望をもって勤労団を組織し情報援助のもとで農耕平和的建設作業等に振り向けることとなった同年8月ソ連対日参戦にあたりハイラルではかつての海拉爾部隊一部集結して白系コサック部隊としてソ連軍背後遊撃戦展開しようと行動起こしたが、連絡不備誤解した現地日本軍攻撃を受け隊長以下がその犠牲となった8月15日浅野上校ところへ、かつて浅野部隊の隊付幹部で特に信頼寄せていたグルゲン・ナゴリャン(ロシア語版)(ナゴレン)少校現れ進駐してくるソ連軍本部同行するよう求めた浅野上校自室において青酸カリ飲み自決図ったが、ナゴリャン少校発見され昏睡状態のままトラックソ連軍司令部運ばれていった。ナゴリャン少校終戦前からソ連軍と通諜しており、日系軍官摘発力を貸していた。このほかに松花江部隊スミルノフ上校をはじめ、白系露人事務局幹部中にもソ連内通者がいた事が終戦後判明している。

※この「改編と終焉」の解説は、「浅野部隊」の解説の一部です。
「改編と終焉」を含む「浅野部隊」の記事については、「浅野部隊」の概要を参照ください。

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