海拉爾部隊
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西のハイラル(海拉爾)地区における三河付近はザバイカル・コサックの中心地として反共主義を掲げ、その結束も強かった。1941年の関特演の際には、白系露人事務局長アレクセイ・バクシェーエフ(ロシア語版)(元白衛軍中将)が、祖国復興を熱望する青年約100名を自主的に動員し関東軍に協力を申し出た。情報部ハイラル支部は威力謀略要員として、約3週間の特別教育を施した。ロシア内戦時にパルチザン隊を組織して戦ったコサック大尉I・A・ペシュコフを隊長とし、陸軍中野学校出身の久保盛太大尉と下士官1名が付いて指導を行った。ハイラル支部は情報部長の許可を得てこの隊をコサック警察予備隊とし、松花江の浅野部隊から馬を約80頭無償で保管転換を受け、兵器は日本軍から融通した。服装はザバイカル・コサックのズボンとルパシカ、軍帽を作り、1942年には兵舎が完成、軍旗も制定した。1943年、この警察隊も満州国軍に編入され、浅野部隊の別働隊(騎兵約1個連)となった。
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