松花江部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:49 UTC 版)
1937年6月、満州国治安部に属する部隊として白系ロシア人部隊が設立された。指揮官には浅野節(ロシア語版)満州国軍中校(のち上校)が任命され、通称「浅野部隊」(特にこの主力部隊は「松花江部隊」)と呼ばれた。ハルビン近郊の第二松花江鉄道橋の畔にあった旧ロシア軍兵舎を駐屯地とし、コサックを主とする騎兵2個連(中隊)より成った。幹部は日本人・ロシア人・満州人の混成で、覆面部隊としてその存在は秘匿された。表向きは満州国軍の一部隊として処理されたが、実際には関東軍ハルビン特務機関長の指揮を受けることになっていた。 浅野部隊の目的は関東軍の命令により平時・戦時問わずソ連領内に潜入し、スパイ工作・破壊工作などによってソ連を内部から崩壊させることにあった。隊員の教育訓練は潜入、偵察、破壊の謀略技術を主としており、例として鉄道・工場・軍事施設の爆破、列車の転覆、放火、ビラ散布、渡河訓練などを訓練した。用語はロシア語を使用し、部隊は外部との交渉を遮断していた。隊員は、頭髪を長髪とし、隊内では満州国軍軍服を着用、外出の場合は軍服の着用が禁止された。そのほか謀略用資材として、現行ソ連軍と同様の軍服、ソ連紙幣、その他一切の携行品が動員用に用意されていた。1941年の編成表によれば、松花江の第1、第2連(騎兵)と横道河子の第3連(歩兵)の兵員数は約700名であった。
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