党官房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:00 UTC 版)
1941年のヘスの単独飛行事件の後、ヒトラーは副総統官房を廃し、新たに『党官房』が設立され、ボルマンが官房長となった。また、ボルマンは帝国大臣の権限を与えられ、帝国政府と国防閣僚会議の構成員であった。 1942年1月の行政命令では、ボルマンの立法会議への参画と、基本的な政治的問題についての党の唯一の窓口としての権限が確認された。ボルマンは、個人的な貢献を果たすことで、自分がヒトラーから気に入られる術を早くから理解しており、1933年以来、彼は『アドルフ・ヒトラー寄金』などの活動により、資金を管理し、オーバーザルツベルクの山荘ベルクホーフの建設計画を監督し、ヒトラーへの接近を深めていった。ボルマンは、ヒトラーが私的に意見を述べた場合には、それを「総統命令」として各官僚たちに伝え、それを実行させる機会を得た。その結果、実際に責任を負っていたハンス・ハインリヒ・ラマースの首相官房は、その重要性を失っていた。ボルマンは、その信頼された立場によって、ヒトラーに直接面会できる者を調整することがあった。1943年4月12日、ボルマンは「総統の個人秘書」に任命され、事実上ヒトラーの側近となった。
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