党幹部としてとは? わかりやすく解説

党幹部として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 20:47 UTC 版)

グエン・ミン・チエット」の記事における「党幹部として」の解説

南北統一後、純粋な南部出身者としては珍しく幹部級まで上り詰め1991年6月ベトナム共産党第7回党大会中央委員選出12月には南部にあるソンベー省の党委員会書記任命された。省党委書記在任中、農業基幹産業の同省を中心に外国投資誘致した1992年招集され第9期国会以降国会議員務める(2010年現在4期目)。 1996年7月第8回党大会において中央委員再選1997年1月ホーチミン市委員会副書記に任命された。同年12月第8期党中央委員会第4回総会において政治局員選出され党内序列19位となり、党中央大衆動員委員長任命される2000年1月6日にはホーチミン市委員会書記就任。このとき彼は汚職組織犯罪反対するキャンペーン開催し、「暗黒街大物」と称されギャングスターナム・カムなどを逮捕した2001年4月第9回党大会政治局員再選され党内序列第4位となる。この党大会ではファン・ヴァン・カイ首相更迭議題上りグエン・ミン・チエット後継候補推す声が上がった。しかし、カイと同じ南部出身であるヴォー・ヴァン・キエット前首相らがカイ更迭強硬に反対したため結局カイ続投し、チェット首相就任実現しなかった。 2006年4月開催され第10回党大会で再び政治局員党内序列第4位となる。この党大会ではノン・ドゥック・マイン書記長に対して党官僚腐敗責任を問う声が高まっていた。書記長再選をめざすマイン対し反対派グエン・ミン・チエット対立候補推したため、中央委員による自由選挙書記長選出することになった中央委員会秘密投票では、チェットの方が得票多く獲得したという噂が一時流れたが、実際にチェット直前になって立候補辞退しマイン書記長再任された。チェット国家主席就任することが決定した同年5月16日から6月29日まで開催され第11期国会第9回会議において、6月27日正式に国家主席選出された。就任直後記者会見チェットは、内政課題として党・政府内で蔓延する汚職撲滅対す決意を示すとともに外交分野では「米国中国との友好経済関係強化したい」と語った11月ハノイ開催され第18回アジア太平洋経済協力会議APEC首脳会議ではホスト役務めた翌年7月、第12期国会第1回会議国家主席再選。なお、ベトナムの国家主席儀礼的な国家元首であり、ベトナム事実上最高指導者共産党書記長で、政府統括首相が行うが、ノン・ドゥック・マイン書記長前述第10回党大会政治的威信低下し政治決定権グエン・ミン・チエット国家主席グエン・タン・ズン首相チュオン・タン・サン書記局常任書記の3名が掌握しているとの見方があった。 2007年11月来日日越歴史上初め国賓扱い日本政府から受けた2011年1月第11回党大会政治局員退き同年7月25日国家主席退任して政界から引退したイギリステレビ司会者、キース・チェグウィンの大ファンとしても知られている。

※この「党幹部として」の解説は、「グエン・ミン・チエット」の解説の一部です。
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