NPD党首
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1984年に空軍を離れた後、密かに続けていたNPD党員としての活動を本格化させ、次第に党幹部として頭角を現していった。1987年、在学していた政治学校を卒業してミュンヘン大学から政治学の修士号を授与された。 東西ドイツ再統一など大きく歴史が動く中にも関わらず、党勢が低迷していたNPDは第4代党首ギュンター・デッカートがホロコースト否定論の扇動により逮捕される危機を迎えた。1996年、NPDの第5代党首に選出されたフォークトは党の立て直しに辣腕を振るい、資本主義に馴染めない旧東ドイツの若者達をネオナチ運動に取り込んで急速に党勢を拡大した。2004年にはザクセン州、2006年にはメクレンブルク=フォアポンメルン州といった、旧東ドイツから編入された新連邦州の州議会選挙で次々と議席を獲得している。2006年、自らも首都ベルリンの市政府にトレプトウ=ケーペニック区の代表として選出され、2010年まで同職を務めた。 他に欧州議会選挙やザールブリュッケン市長選挙にもNPDから擁立されているが、いずれも落選に終わっている。また2008年3月13日には人種主義的なパンフレットを配布するなど、少なくとも2度目の民衆扇動罪(最高刑は禁固5年)で起訴されている。裁判で争った末、執行猶予付きの有罪判決とユニセフへの2000ユーロの寄付を命じられている。実刑判決は避けたものの、本人は政治的な弾圧であると声明している。 2011年11月13日、15年間務めたNPD党首の地位を退き、新党首にはNPD所属のザクセン州議会議員ホルガー・アプフェル(英語版)が選ばれた。
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