民国時代の活動
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1912年(民国元年)3月、袁世凱が臨時大総統に就任すると、唐紹儀内閣の工商総長に就任する。しかし、まもなく唐紹儀が袁世凱と対立して内閣が崩壊したため、陳其美も抗議して辞任する。さらに滬軍都督からも罷免された。1913年(民国2年)7月の二次革命(第二革命)では、陳其美は上海討袁軍総司令に推戴され、19日に上海独立を宣言する。しかし、陸海軍の正規部隊の支持を得られず、9月には敗北し、11月に日本へ亡命した。 1914年(民国3年)7月、東京で中華革命党が成立すると、陳其美もこれに加入し、総務部長に任命された。その後、帰国して袁世凱討伐活動に従事する。1915年(民国4年)2月から、上海で蜂起を画策し、12月5日に挙兵したが、失敗に終わった。1916年(民国5年)からは、護国戦争(第三革命)に呼応して、引き続き上海等で反袁活動を続けた。しかし、資金不足などが原因で活動は停滞する。 同年5月18日、北京政府側の軍人である張宗昌が放った刺客により、陳其美は暗殺された。享年40(満39歳)。
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