民国期における中国共産党のイスラーム政策
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「中国におけるイスラームの歴史」の記事における「民国期における中国共産党のイスラーム政策」の解説
1936年に長征を行っていた中国共産党の紅軍は同心県に到着した。紅軍は地元のムスリムと代表大会を行い、同年10月20日に同心清真大寺に集まった300人ほどの回族で「豫海県回民自治政府」が設立された。自治政府では紅軍の主張が宣伝され、地主の土地を分配した。また、中国共産党の印とアラビア文字・漢字を彫った印鑑が作られた。しかし同年の12月13日に紅軍は同心県を離れた後に自治政府は攻撃を受け地下活動に移った。 抗日戦争を進める上で中国西北部に住むムスリムの戦略的重要性に着目した中国共産党は1941年に『回回民族問題』という本を出版した。このなかで共産党は回族が受けていた差別や圧迫を階級闘争として解釈し、清朝で起こったムスリムの反乱は「残酷な階級圧迫と民族圧迫」によって起こったとした。そして漢語話者のムスリムを単一民族として認定した。 日本による侵略が拡大すると河北省出身のムスリムである馬本斎によってムスリムからなる抗日部隊が組織された。この部隊は1937年ごろに共産党の指揮下に属し、「回民支隊」として八路軍に組み入れられた。1944年までに回民支隊が参加した戦闘は870回に上ったとされている。馬本斎は1944年に病死したが、死去した際には毛沢東や周恩来、朱徳が弔辞を述べた。
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