民国成立後とは? わかりやすく解説

民国成立後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 17:00 UTC 版)

黄興」の記事における「民国成立後」の解説

1912年民国元年)に宣統帝退位し南北統一政府組織される際、袁世凱より軍部要職に就くよう懇請されたが辞して南京留守役として江南各軍統括していた。孫文と袁世凱妥協については、黄興はこれを支持する立場をとった。中国国民党率いて内閣首班となる予定だった盟友宋教仁袁世凱配下暗殺された際にも、孫文が討袁の軍を挙げようとするのに対し黄興最後まで法律的な解決望んだ。しかし、袁世凱政府無謀な外国借款繰り返すのには反対し、国民募集唱道している。 1913年3月から始まった第二革命には、孫文呼応して南京拠り討袁軍を起こした同年7月12日李烈鈞江西省にて蜂起しつづいて江蘇省黄興上海陳其美広東省陳炯明安徽省柏文蔚四川省熊克武福建省許崇智湖南省譚延闓蜂起した李烈鈞が七省討袁聯軍司令となり、黄興南京独立宣言した。しかし、革命軍袁世凱敗れ孫文台湾亡命し黄興日本逃れて犬養毅邸にかくまわれた。1914年7月孫文日本国民党改組して中華革命党立ち上げたが、黄興はこれには参加しなかった。革命党誓約に「孫文先生附従して、再び革命起こす」とあるのを拒否したためであった孫文さかんに黄興引き留めたが、黄興党員絶対服従求め少数精鋭秘密結社ではなくゆるやかな革命連合戦線組織望んだのである同年8月黄興らは東京において欧事研究会結成した。この研究会の名は、欧州情勢重大さ(すなわち第一次世界大戦)について、集合して討論することを目的としたことから付けられた。欧事研究会結成中心となったのは、黄興かねてから親しかった李根源章士釗であった。このほか発起人には、彭允彝殷汝驪・冷遹・林虎程潜などが名を列ねた。会員100余り数え、これ以後護法運動活躍したり、国民政府に参加したりする著名な人士参与している。黄興こののちアメリカ合衆国移り資金調達奔走した1915年袁世凱皇帝称し第三革命が始まると日本に赴き、1916年6月22日上海帰った当時孫文一派感情的に衝突していたが、次第融和し護国軍や旧国会議員連絡保ち種々画策するところがあったが、その年の10月31日病死した。死因過労による肝臓疾患であった黄興死去の前の日、孫文見舞訪れている。

※この「民国成立後」の解説は、「黄興」の解説の一部です。
「民国成立後」を含む「黄興」の記事については、「黄興」の概要を参照ください。


民国成立後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:23 UTC 版)

張勲 (清末民初)」の記事における「民国成立後」の解説

1913年民国2年4月張勲早くも溥儀擁立画策したが、事前に計画漏れたため断念している。袁世凱反感抱いた孫文孫中山)ら革命派第二革命二次革命)を起こすと、7月張勲袁世凱の命を受け革命派鎮圧した9月1日南京攻略した際に、3日わたって放火略奪殺戮縦にしている(1913年南京事件)。鎮圧軍功により、張勲江蘇都督任命され12月には長江巡閲使に転じて徐州駐屯した。 1915年民国4年)、武衛前軍定武軍と改称され、定部上将軍任命された。同年中に袁世凱皇帝即位画策し実際に即位すると、清朝復権望んでいた張勲は不満を示すようになる。ところが護国戦争勃発すると、張は護国軍には与さず袁世凱支持転じた1916年民国5年4月には安徽将軍同年7月より督軍)に任命されこの頃には57営、約2万人の兵力率いていたとされる袁世凱死後における大総統黎元洪国務総理段祺瑞との政争府院の争い)では、張勲は段を支持した。また復辟画策開始し、その一環として康有為らの助言受けて孔教儒教国教化公然と要求した6月、7省の督軍徐州召集して段を支持する督軍団」を結成、そのリーダー格と目されるうになる9月にも張は徐州会議開催し督軍団を13省まで拡大して十三区連合会」を結成、張が盟主として推戴された。

※この「民国成立後」の解説は、「張勲 (清末民初)」の解説の一部です。
「民国成立後」を含む「張勲 (清末民初)」の記事については、「張勲 (清末民初)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「民国成立後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「民国成立後」の関連用語

民国成立後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



民国成立後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの黄興 (改訂履歴)、張勲 (清末民初) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS