孫文と袁世凱とは? わかりやすく解説

孫文と袁世凱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 09:20 UTC 版)

中華民国の歴史」の記事における「孫文と袁世凱」の解説

南京成立した臨時政府では、国家元首に当たる臨時大総統孫文であった。だが、孫文当時国内で最も軍事力有し、また清朝全権握っていた袁世凱交渉し南北分裂状態であった中国臨時政府によって統一させるため、宣統帝退位臨時約法遵守といった条件引き換え臨時大総統職を彼に譲った。しかし、袁世凱臨時大総統就任後責任内閣制導入を図る国民党中国同盟会改組したもの現在の中国国民党とは異なる)の宋教仁暗殺したほか、統治拠点を自らの軍事基盤である北京において専制体制強化したこうした袁の専制への反発から、1913年7月には江西李烈鈞らが中心となって第二革命勃発した。しかし、反袁勢力結集失敗して鎮圧され、袁は正式に大総統就任した第一次世界大戦最中である1915年日本から出され対華21ヶ条要求中国に於ける日本利権絶対的に保証する内容)を批准し更には自らが皇帝となることを前提帝政復活宣言して国号を「中華帝国」に改めた。これに対して国内外からは非難の声が殺到し雲南唐継堯らが倒袁運動を展開(第三革命)したほか、袁の権力基盤である北洋軍閥諸将からも反発受けたこのため袁は翌1916年帝政復活取消宣言せざるをえなくなり権威失墜させ、そのまま同年6月病死した。

※この「孫文と袁世凱」の解説は、「中華民国の歴史」の解説の一部です。
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