宣統3年制式
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宣統3年(1911年)3月9日、礼服・常服に関する改正が実施された。これまで地味だった常服は、この改正でより洗練されたものとなった。上衣は上下ともにポケットに雨蓋なし、生地の色はブルーグレー、ボタンは7つ。将校の場合、階級は襟と肩で表され、襟章は2.2cm六芒星であらわされた階級章と、その上部の兵科章で構成された。兵科章には、アラビア数字で連隊もしくは大隊番号を表した隊号章が付く。帽章はより簡略化され、黄、青、赤の直径2.4cmのコカルデとなった。士兵の肩章は紅色の台紙を0.4cmの金のパイピングで囲み(中小学堂生徒はなし)、士兵は中央に0.6cmの金パイピングが1本、軍士は2本入る。礼装はシングルブレストにエポレット、ピッケルハウベのものが制定されたとされるが、写真は確認できない。 このわずか半年後に辛亥革命が起こったため全軍に普及出来なかったと思われ、この常服を写した画像は少ない。しかし、1912年1月1日の中華民国臨時政府成立後も2月に宣統帝が退位するまでの間はあくまで新軍は存在しており、また革命勢力の間でも新軍より寝返った者の中には新型軍服が導入・本格的な増産に至るまでの間、帽章を取り換えたのみで引き続き着用する者もいた。 副都統(中将に相当)。呉禄貞(中国語版)。 協都統(少将)か。仇亮 軍医たる協参領(少佐に相当)。伍連徳 高級軍官ら。これは民国成立後の写真だが、まだ新軍の軍服を着用しており、帽章も清朝時代のままである。 こちらも民国成立後の写真だが、奥中央の人物(元・正都統、段祺瑞)は新軍の軍服を着用(1912年3月) 帽章を十八星に換えているため、民国成立後の写真。襟章から、元・参領(佐官、革命後校官と呼称)クラスと推測される。孫毓筠 正都統。こちらも帽章を十八星に換えているため、民国成立後の写真。段芝貴 正都統、馮国璋 騎兵下士官 陸軍貴冑学堂の教官ら。旧制式の制服を着用している人物も見受けられる。黒い襟は禁衛軍。後方は生徒。
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