宣統3年制式とは? わかりやすく解説

宣統3年制式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 01:07 UTC 版)

軍服 (中華民国)」の記事における「宣統3年制式」の解説

宣統3年1911年3月9日礼服常服に関する改正実施された。これまで地味だった常服は、この改正でより洗練されたものとなった上衣上下ともにポケット雨蓋なし、生地の色はブルーグレー、ボタン7つ将校場合階級は襟と肩で表され襟章は2.2cm六芒星あらわされ階級章と、その上部の兵科章で構成された。兵科章には、アラビア数字連隊もしくは大隊番号表した隊号章が付く。帽章はより簡略化され、黄、青、赤の直径2.4cmのコカルデとなった士兵肩章紅色台紙を0.4cmの金のパイピング囲み中小学堂生徒はなし)、士兵中央に0.6cmの金パイピングが1本、軍士は2本入る。礼装はシングルブレストにエポレットピッケルハウベのものが制定されとされるが、写真確認できない。 このわずか半年後に辛亥革命起こったため全軍普及出来なかったと思われ、この常服写した画像少ない。しかし、1912年1月1日中華民国臨時政府成立後2月宣統帝退位するまでの間はあくまで新軍存在しており、また革命勢力の間でも新軍より寝返った者の中には新型軍服導入本格的な増産に至るまでの間、帽章取り換えたのみで引き続き着用する者もいた。 副都統(中将に相当)。呉禄貞(中国語版)。 協都統少将)か。仇亮 軍医たる協参領(少佐に相当)。伍連徳 高級軍官ら。これは民国成立後写真だが、まだ新軍軍服着用しており、帽章清朝時代のままである。 こちらも民国成立後写真だが、奥中央の人物元・正都統段祺瑞)は新軍軍服着用1912年3月帽章十八星に換えているため、民国成立後写真襟章から、元・参領(佐官革命後校官と呼称クラス推測される孫毓筠都統。こちらも帽章十八星に換えているため、民国成立後写真段芝貴都統馮国璋 騎兵下士官 陸軍貴冑学堂教官ら。旧制式の制服着用している人物見受けられる。黒い襟は禁衛軍後方生徒

※この「宣統3年制式」の解説は、「軍服 (中華民国)」の解説の一部です。
「宣統3年制式」を含む「軍服 (中華民国)」の記事については、「軍服 (中華民国)」の概要を参照ください。

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