清朝時代
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1858年(咸豊8年):清朝が天津条約締結により淡水、雞籠(現在の基隆市)、安平、打狗の4港を開港を迫られる:頁(2-3)。 1864年(同治3年):税関が設置され打狗港が正式開港。英領事館が淡水から移転する前は7月に英国副領事ロバート・スウィンホー(R. Swinhoe)が甸徳洋行(Dent & Co.)から打狗港内の廃船「三葉号」(Ternate)を借り上げ仮の副領事館として業務を行う:頁(2-4)。 1865年(同治4年)2月:打狗副領事館が領事館に昇格:頁(4-2)、旗後の華人住居を館舍として利用。同年8月に旗後碼頭に天利洋行(Macphail & Co.)の2階建ての洋館を建立。 1867年(同治6年)5月:新領事のチャールズ・キャロルが天利洋行との間で旗後の洋館の5年間の賃貸契約を締結、打狗領事館館舍として使うことになった。数週間後に天利洋行は破産し競売で怡記洋行(中国語版)(Elles & Co.)の所有物になったが契約には影響しなかった:頁12。 1876年:英国政府は哨船頭碼頭周辺と税関関連の一帯の土地を永久租借権を得たため、領事館建造に着手。英国政府と税関周辺の土地に境界を示す石碑が設置される:頁(2-6)。そのうち2つの石碑は2008年現在も元の場所に存在している。「VR大英國地界1876」、「台湾關地界」と記されている:頁(2-7)。 1877年1月:英国政府は哨船頭山上下の関連する土地を正式に取得:頁(2-10)、領事官邸建設計画に着手した。年末に官邸建設が始まる。 1879年8月:英国政府は哨船頭碼頭(現在の哨船頭公園)に領事館を、山頂に領事官邸を落成:頁(2-11)、両者を連結する石段も開通した。
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清朝時代
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清朝乾隆43年(1778年)、中国本土福建の漳州龍渓(中国語版)出身の林應寅は、台湾に渡り淡水庁(中国語版)新荘(現・新北市新荘区)で教職に就いた(p11)。乾隆50年(1785年)に福建へ戻っている。専門家の考証によると應寅が台湾における板橋林家の始祖とされている。子の林平侯(中国語版)は16歳時(乾隆47年)に父を尋ねて台湾に渡り新荘の米商人、鄭谷の下で雇用されるようになった(p11)。平候は商才があったため鄭谷に反発されながらも資金を借りて創業、淡水河の水運業に進出しコメ輸送の貿易商となった。このころに林爽文事件(林爽文による反清活動)でコメの価格が高騰したため、平候はコメの輸送と販売で巨万の富を得ることになった(p8)。 その後平候は竹塹(新竹の古い名称)にいた林紹賢と共同で台湾での塩売に乗り出しさらに富を築いた(p11)。40歳を迎えていた平候は捐官により本土で柳州府(中国語版)(現在の広西省)の役人を7年務めた。嘉慶21年(1816年)、平候は退官し台湾で定住する。当時の居住地だった淡水庁新荘では漳州人と泉州人による分類械闘(械鬥事件)の最中だった。 平候はこれに巻き込まれることを避けるため、嘉慶23年に大嵙崁の三層地区(現・桃園市大渓区福安里)へ転居、ここに定住すべく豪邸を建て、暴徒を防ぐ砦を築くとともに、農地開墾や灌漑水路構築も行い地租収入が大幅に増えた。その後平候は台湾府に協力して暴動を鎮圧、清朝廷に淡水庁城(現・新竹市の竹塹城(中国語版))築城を嘆願した。
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清朝時代
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清朝統治時代の1696年に書かれた「台湾府史」では、次の8つが台湾八景として記述されている。当時、台湾全島が影響下に無かったこともあり、現在の台南市周辺のものが多く選ばれている。 安平晩渡 夜の安平港(現在の台南市) 沙鯤漁火 鯤鯓から見る漁火(現在の台南市) 鹿耳春潮 鹿耳門の春潮(現在の台南市) 鶏籠積雪 雪の大屯山(現在の新北市・台北市) 東澳暁日 澎湖諸島北海の朝日(現在の澎湖県) 西嶼落霞 霧の澎湖諸島漁翁島(現在の澎湖県) 斐亭聴濤 斐亭から聞く波音(現在の台南市) 澄台観海 澄台から見る海(現在の台南市)
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