清朝・外モンゴル(ハルハ)と内モンゴル(チャハル)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:10 UTC 版)
「モンゴル系民族」の記事における「清朝・外モンゴル(ハルハ)と内モンゴル(チャハル)」の解説
ダヤン・ハーンによって再構築されたモンゴル帝国は左翼のチャハル、ハルハ、ウリヤンハイと、右翼のオルドス部、トメト、ヨンシエブの6トゥメンに分かれ、やがて現在のモンゴル国に当たる地域にはハルハ系のチェチェン・ハーン部、トシェート・ハーン部、ジャサクト・ハーン部、サイン・ノヤン部が形成され、清朝の支配下に入ると「外蒙古」と呼ばれた。現在の内モンゴル自治区に当たる地域にはジェリム盟、ジョソト盟、ジョーオダ盟、シリンゴル盟、ウランチャブ盟、イフ・ジョー盟、アラシャン・オーロト部、エジネ・トルグート部などが形成され、清代に「内蒙古」と呼ばれた。
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