革命軍諸軍の軍装
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「軍服 (中華民国)」の記事における「革命軍諸軍の軍装」の解説
辛亥革命では第八鎮からの起義者で編成された革命軍の他にも、呉淞光復軍、上海光復軍など数々の民軍(革命軍)が編成され、戦闘に参加。その多くは独自の制服を用いた。しかし、南京臨時政府の成立後に解散させられた。 1月5日、南京臨時政府は「軍士制服令」「大総統陸軍服制」を制定、16日には「陸軍軍官佐士兵階級表」。軍服の形状および階級章は日本陸軍の明治39年式軍衣に酷似しており、帽章は、武昌起義において湖北軍政府が掲げた「十八星旗(鉄血十八星旗、別名・九角十八星旗)」をベースとして制定された陸軍軍旗である「九角十九星旗」を反映している。襟章は日本軍の「鍬型」に酷似するが、切れ込みの湾曲がない。また、将官でも赤の襟章を付ける。階級は軍官は肩章、兵は線で示す。肩章は赤を台紙とし、少尉~大尉は金線1本、少領~大領は2本。将官は台紙が金。二等兵は半生(0.5ミリ)の赤線1本、一等兵は2本。二等兵目は下部に3生(3センチ)、上部に半生の赤線が各1本、一等兵目は下部に3生1本、上に半生の赤線2本。建国直後の混乱のためか、軍政府ごとのばらつきが多かった。 武昌起義における革命軍兵士ら(1911年10月) 同じく武昌起義における革命軍の砲兵。 呉淞光復軍 上海光復軍将兵(1912年1月) 上海女子北伐決死隊員。翌年の臨時政府の軍服に似ている。沈佩貞(中国語版) 上海の革命軍兵士。 参謀総長たる将官。帽子は宣統3年制式、軍衣は光緖31年制式に似ている。黎元洪 四川軍政府副都督たる大将校。軍帽鉢巻部のパイピングが規定と異なる。張培爵 滬軍都督たる大将校。陳其美 湖北軍政府の中将校。蔡済民(中国語版) 江蘇都督の大将校。帽章が規定と異なる。程徳全 山西軍政府将兵。手前の衛兵は袖章より一等兵(1911年9月)
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