宣統帝退位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:53 UTC 版)
2月12日、清朝内閣総理大臣袁世凱等の内閣勧告により宣統帝の母后である隆裕太后は清皇室への優待条件を受け入れ、『退位詔書』を発布、清朝最後の皇帝、宣統帝の退位と袁世凱が組織する共和政府への権限移譲が行われた。この時に、有期限の元号は廃止され、1912年を元年とする無期限の民国紀元(中華民国暦)が施行された。 『退位詔書』は張謇により起草、臨時参議院を通過したものである。しかし袁世凱により全権組織された共和政府という表現は袁世凱により追加されたものである。これにより清朝は滅亡し、2000年以上続いた中国における帝政は終に廃止された。
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