ムスリムの反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:31 UTC 版)
「中国におけるイスラームの歴史」の記事における「ムスリムの反乱」の解説
詳細は「回民蜂起」、「パンゼーの乱」、および「ヤクブ・ベクの乱」を参照 清朝においてムスリムはたびたび反乱を起こした。1853年から続いた漢回対立からくる紛争によって始まり、1856年から1874年にかけて行われた雲南の回民蜂起や、1862年に太平天国の乱を機に陝西でムスリムが蜂起し、それが「ムスリムが皆殺しにされた」というデマや噂とともに波及して甘粛や新疆でも蜂起が起きた。その中でも1864年にテュルク系ムスリムと漢語ムスリムとの連合で始まった新疆の反乱では、イスラーム法で統治される独自政権が発足した。これらの反乱は1870年代には鎮圧されたが、地方のムスリムの生活とイスラーム文化の衰退を導き、ムスリム社会は没落した。この同治の乱では1850年代には170万人いた陝西のムスリムのうちおよそ9割にあたる155万人が、甘粛ではムスリムの5割以上が、それぞれ死亡したり逃亡したりして犠牲になったという。
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