ムスリムの征服からファーティマ朝まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:11 UTC 版)
「ダマスカス」の記事における「ムスリムの征服からファーティマ朝まで」の解説
636年、ダマスカスは第2代正統カリフ・ウマル・イブン=ハッターブ(ウマル一世)に征服される。その直後、アンダルス(現在のスペイン)からインドまで広がるウマイヤ朝(661年-750年)の首都となったときに、この都市の力と威光は頂点に達した。705年にキリスト教会をモスクに改造したウマイヤド・モスクは今でもダマスカスに残っている。744年、最後のウマイヤ朝カリフ、マルワーン2世は首都をジャズィーラ(メソポタミア北部)にあるハッラーンに移し、以後ダマスカスはこれほどの政治的重要性を取り戻すことはない。 750年、ウマイヤ朝が倒れ、アッバース朝が興ると、ダマスカスはバグダードから支配される。858年、アル=ムタワッキルは首都をサマラから移転する意図の下に短い間ダマスカスに居を構えたが、すぐにこの考えを放棄した。アッバース朝が傾くにつれ、ダマスカス方面は不安定となり、地方政権の支配下に入る。875年、エジプトの支配者アフマド・イブン・トゥールーンがこの都市を手に入れ、アッバース朝の支配は905年になるまで回復しない。945年、ハムダーン朝がダマスカスを手に入れ、その後しばらくしてイフシード朝の開祖ムハンマド・イブン=トゥグジュの手に渡る。968年そして971年にダマスカスは短い間カルマト派に占領される。
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