ムスリムのファラオ観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
アラビア語でファラオは、おそらくシリア語かアムハラ語からの借用語と推定される「フィルアウン」(fir‘awn, 複数形は far‘īna)という。この「フィルアウン」には、端的に言って、「無慈悲な暴君」の意味合いがある。イスラーム教の聖典『クルアーン』において「フィルアウン」の語は全部で74回出現するが、特に2章47節から52節あたりには、『出エジプト記』においてモーセやイスラエル人に迫害を加えるファラオと同一視される、男児の殺害を命じるファラオ、海の底に沈むファラオについての描写がある。10章90節から92節あたりには、同じく海の底に沈むファラオが改心の言葉を口にするも神に拒絶される描写がある。前近代のイスラーム教徒が持つ否定的なファラオ観は、クルアーンに依拠するところが大きい。 一方で、クルアーンの注釈書や、タバリー、マスウーディーなどイスラーム教徒の古典的な著作には、ファラオに関して、クルアーンにもヘブライ語聖書にも根拠を見いだせない情報が見出せる。たとえば、タフスィール書(クルアーンの注釈書)では、ファラオはアマレク人であると解説されており、タバリーはモーセを迫害したファラオがイラン系のイスタフル(英語版)出身の王であると記し、マスウーディーはアブラハムやヨセフの物語に登場するファラオの具体的な名前を記す。イスラーム世界では、ユダヤ教の伝説(アッガダ(英語版))を基礎に、イスラーム教徒が7世紀以降支配下に入れたエジプトで言い伝えられていた伝説を取り込んで、独自のファラオ観が、歴史的に形成されていったと推定されている。 モーセ伝説におけるファラオは、海の底に沈む間際、信仰を告白しようとするが大天使ガブリエルが泥をその口に突っ込み、阻止したとされる。歴史的には、このように神に拒絶されるほどの無慈悲さとはどのようなものかをめぐって、神学上の議論があり、例えばムァタズィラ派がファラオに関心を持った。また、死を目前にしての改心というファラオ説話に内在する神意については、ハッラージュらスーフィーたちも彼ら独特の思考様式で瞑想した。スーフィズムではファラオを傲慢・貪欲・無反省の典型と考えることが多い。 19世紀にエジプト学が発展し、古代エジプト文明に関する知識が増大すると、伝統とは異なるファラオ観も現れた。現代のエジプト人は古代エジプト人の直系の子孫であるという立場に立ち、古代エジプトが担っていた世界に対する指導的役割や卓越した地位を取り戻そうとする「ファラオ主義」が、教育を受けたエジプトの一部のエリートの間で主張された。
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