ムスリムへのキリスト教宣教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:31 UTC 版)
「中国におけるイスラームの歴史」の記事における「ムスリムへのキリスト教宣教」の解説
アヘン戦争の結果、清朝は南京条約においてキリスト教の宣教を認めた。1850年代にはハドソン・テーラーによって中国内地会が組織された。当初、内地会の活動は沿海部に留まっていたが、しだいに中国奥地に活動範囲を広げた。その中で宣教師たちはムスリムと接触した。宣教師たちは、仏教や道教といった中国の一通りの宗教や習慣、言語などの訓練は受けていたがムスリムに対する訓練は受けていなかった。しかし、1890年代にはアラビア語訳などの聖書を持ち込んだ。宣教師の報告では中国のムスリムは世界のどの地域のムスリムより福音に近く、友好的であり、非識字者が多く宗教知識にかけておりナショナリズムも強くないとされた。 1906年には宣教師であるサミュエル・ツエマー(英語版)はアメリカ合衆国のナッシュヴィルにおいて4000人の大学生に対して「ペルシャ、エジプト、アラビアよりも人口が多い中国のムスリムに対する福音化が重要」と説いた。また、世界宣教会議の中国継続委弁会では「ムスリム委員会」が設置され、中国のムスリムへの宣教の重要性が強調された。 イスラームからキリスト教に改宗した者は婚礼や葬式、記念日や埋葬などイスラームの儀礼を全て変えさせられた。
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