レコンキスタでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 07:04 UTC 版)
「アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)」の記事における「レコンキスタでの活動」の解説
1252年にカスティーリャ王位を継ぎ、カスティーリャ、レオンを相続する。イベリア半島南部のアルガルヴェ地方の国境部の領有を巡ってポルトガル王国と争い、庶子ベアトリスをポルトガル王アフォンソ3世に嫁がせ和解した。1254年にはガスコーニュに軍を進め、ガスコーニュ攻撃の直後にナバラ王テオバルド1世亡き後の王位の継承権を主張したため舅ハイメ1世と対立するが、1256年のソリア条約で和解した。1260年にモロッコのサレでマリーン朝に対する反乱が起きると、アルフォンソ10世は艦隊を派遣して反乱を助けた。カスティーリャ軍はサレを略奪するが、ムワッヒド朝の残党の包囲を受けて退却し、モロッコにアフリカ進出の拠点を築くことはできなかった。 1262年にアルフォンソ10世はイスラム教の従属王国(タイファ)が所有していたカディス、ニエブラ(スペイン語版)の直接支配を狙い、カスティーリャ軍が占領したため、グラナダのナスル朝との関係が悪化する。ナスル朝はアル=アンダルスのムデハル(キリスト教国在住のムスリム)の反乱を扇動し、ヘレス、アルコス、ムルシアなどで蜂起が発生した。アルフォンソ10世はカラトラバ騎士団の支援を受け反乱都市を奪還、マラガの有力貴族アシキールーラ家の反乱を支援してナスル朝に対抗し、ナスル朝はアシキールーラ家の反乱鎮圧に専念するため、両者は1266年に和約を締結した。この後、アルフォンソ10世はハイメ1世と騎士団、ナスル朝などの支援でムルシアも取り戻し、ムスリム住民を追放してキリスト教徒を入植させ支配を強化した(ムルシア征服(英語版))。
※この「レコンキスタでの活動」の解説は、「アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)」の解説の一部です。
「レコンキスタでの活動」を含む「アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)」の記事については、「アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)」の概要を参照ください。
- レコンキスタでの活動のページへのリンク