レコンキスタから現代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:16 UTC 版)
「イベリア半島」の記事における「レコンキスタから現代まで」の解説
イベリア半島北部においては、アラゴン王国やレオン王国、カスティーリャ王国、ポルトガル王国などのキリスト教国が建国され、レコンキスタを推し進めていった。一方、南部においては、1031年に後ウマイヤ朝が自滅し、多数のイスラーム系小王国(タイファ)が割拠する状態となった。後に、アフリカ大陸のイスラーム王朝であるムラービト朝、その後ムワッヒド朝の支配下に置かれた。 次第に力をつけていったキリスト教国は、イスラーム王朝を南へ南へと圧迫し、その支配領域を広げていく。1479年にはアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世の結婚によりスペイン王国が成立、レコンキスタに拍車がかかり、1492年にはイベリア半島最後のイスラーム王朝であるナスル朝が滅ぼされ、イベリア半島からイスラーム王朝は完全に駆逐された。 以降はスペイン王国とポルトガル王国がイベリア半島を支配することになった。スペイン王国はイスラーム教徒やユダヤ教徒に改宗を強要し、異端尋問をよりどころにして国家統合を進めた。ポルトガルもユダヤ教徒を弾圧してカトリックへの統合を進めており、半島の両国は対抗宗教改革の牙城となった。20世紀後半の両国に登場した独裁者であるサラザールとフランシスコ・フランコもまた、カトリックを国家理念とした統治を行っている。スペイン・ポルトガル両国による大航海時代の到来には、大西洋と北アフリカに近いイベリア半島の地理的位置が大きく影響しており、またレコンキスタを推し進めたエネルギーが半島外部に向かったとも言われている。中世の半島は様々な言語が話される他言語状況が生まれ、今日のスペインでも言語問題が残っている。
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