レコンキスタの完了とは? わかりやすく解説

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レコンキスタの完了

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 16:12 UTC 版)

フェルナンド3世 (カスティーリャ王)」の記事における「レコンキスタの完了」の解説

イベリア半島南東でもレコンキスタ継続王太子サンティアゴ騎士団長ペラヨ・ペレス・コレア(英語版)はムルシア進軍し1243年領主アブー・バクルカスティーリャへの臣従カスティーリャ軍のムルシア要塞駐屯パリア支払い引き換えにしたイスラム教住民や法の尊重条件降伏させた。この地域にはバレンシアから南下して来たアラゴン王ハイメ1世の軍も進出ハティバ接触した両軍不穏な気配生じたが、翌1244年3月26日にアルミスラ条約英語版)を結び両国獲得領土とその境界線取り決めたことで紛争避けられた。なお、ハイメ1世1253年までにレコンキスタ完了させている。 一方1244年になるとムハンマド1世反旗を翻したフェルナンド3世すぐさまムハンマド1世領土侵略して多く都市奪い取り1246年1月ハエン包囲戦英語版)を開始した形勢不利を悟ったムハンマド1世フェルナンド3世臣従誓いハエン引き渡し毎年15マラベディのパリア支払い同意引き換えフェルナンド3世グラナダ王国領土保全約束したハエン獲得ムハンマド1世臣従で残る標的セビリアとなった同年セビリア政変起こり市民反乱起こしキリスト教派の指導者ウマル・イブン・ジャッドを殺害成立した市会キリスト教徒への抵抗決めたが、セビリアからチュニジア人追放していたためイスラム教国家の怒りを買い孤立セビリア単独キリスト教国家に立ち向かわねばならなくなった政変聞いたフェルナンド3世直ちカスティーリャ軍を率いて出兵市壁と堀で守り堅固水運発達していたセビリアと、その周辺張り巡らされ要塞都市を落とす戦略取り掛かったモリナ公とカラトラバ騎士団長フェルナンド・オルドニェス・サンティアゴ騎士団長ペラヨや、援軍連れたムハンマド1世イスラム教軍も加えたカスティーリャ軍を率いたフェルナンド3世9月からセビリア北東都市カルモナ英語版)を攻撃して戦闘開始したセビリア周辺都市攻略1246年から翌1247年まで1年かけて行われ武力交渉用いた硬軟折り合わせた戦術で対応、アルカラ・デ・グアダイラカルモナコンスタンティナ英語版)、レイナ英語版)、ロラ・デル・リオ(英語版)、ギリェナ(英語版)、アルカラ・デル・リオ(英語版)などを次々と降伏させた(ただし、北東のカンティリャナ(英語版)は降伏拒否したため住民虐殺奴隷惨状見舞われた)。そうして北と東からセビリア包囲ブルゴス商人ラモン・デ・ボニファス(英語版)が回送した艦隊水路封鎖1247年7月頃からセビリア包囲戦英語版)が始まった包囲中はキリスト教軍とイスラム教軍の小競り合い頻発水上ではボニファスの艦隊イスラム教艦隊衝突した戦い次第イスラム教軍が不利になり、年末までにセビリア艦隊弱体化しキリスト教軍は封鎖強化1248年に入ると王太子ディエゴ・ロペス3世・デ・アロ(英語版)の援軍到着5月にはボニファスがセビリアトリアーナ英語版)を結ぶ浮橋大船ぶつけて破壊キリスト教軍は兵糧攻め包囲続行した。これら一連の出来事セビリア市民は援軍当て無くし飢餓苦しみ死者続出戦意喪失して降伏交渉イスラム教徒住民退去セビリア市2分の1キリスト教徒引き渡す周辺地域を含むセビリア全体1ヶ月以内引き渡すことで合意した11月23日セビリア降伏し住民財産売却してグラナダアフリカへ退去、代わってキリスト教徒セビリア入りフェルナンド3世12月22日入城した。こうしてレコンキスタ事実上終結迎えたムハンマド1世フェルナンド3世臣従していたため、イベリア半島敵対するイスラム教勢力はほとんど無くなった)。 セビリア降伏後コルドバの時同様に戦後理に奔走王族・貴族聖職者騎士団などに所領分配キリスト教徒植民フエロ授与によるセビリア自治都市指定など取り組む一方カディスメディナ=シドニアなどの町々を攻略していった。そして、レコンキスタ延長として北アフリカ侵攻しようと企てたが、1252年遠征途上セビリア病死した。 フェルナンド3世レコンキスタ大成功であった。しかしその急速な勢力拡大に対して領土戦闘参加した貴族配分して強大化を招いたため、支配体制基盤脆弱になった上、軍事における多大な戦費における経済破綻イスラム勢力撤退による産業衰退などの悪影響発生し皮肉にもカスティーリャ王国領土の拡大代償国力減退させてしまうこととなった。後を継いだアルフォンソ10はこうしたカスティーリャ受け継ぎいかにして王国防衛維持しながら王国機構改変していくかという課題挑むことになる。

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レコンキスタの完了

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 16:15 UTC 版)

ハイメ1世 (アラゴン王)」の記事における「レコンキスタの完了」の解説

バレンシア占領後は土地分配聖職者および貴族たちと揉めたり包囲参加出来なかった一部貴族ビリェーナ攻撃失敗して退却するといった出来事があったが、バレンシア王国中部平定しハイメ1世は大貴族たちの支持獲得した。しかし征服未完で、バレンシア守備隊残して一旦切り上げたが、1239年に再び征服活動を行うようになる。ただし、同年6月からモンペリエ訪問政治工作南仏赴いているため、バレンシア征服再開11月になってからである。 11月モンペリエからバレンシアに戻ると南進1240年2月交渉でバイレーン城(スペイン語版)の主と降伏取り付け8月降伏受諾した続いてビリェーナ降伏、それからカタルーニャ帰国し1241年3月に再びモンペリエ訪れバレンシア征服中断したが、南仏政策失敗する1242年4月バレンシア戻り征服活動再開した時期不明だシャティバハティバ包囲行われ包囲中に城主使者との交渉城主シャティバ代わりにカステリョン・デ・ラ・リベラ(英語版)を渡しハイメ1世臣従する条約交わした承諾したハイメ1世包囲前にシャティバ捕虜になっていた家臣たちを解放してもらい、カステリョン・デ・ラ・リベラも受け取りアラゴン帰国した。しかし、シャティバとは後に係争生じることになる。 1242年12月30日アルジーラ降伏承諾した後、シャティバ城主配下のモーロ人部隊がアラゴン貴族ロドリーゴ・リサナの部下たちを襲い戦利品を奪う事件発生先に取り決めた条約破ったことを城主詰問条約違反として要求したシャティバ明け渡し拒否されたため1244年1月シャティバ包囲した。ここにはムルシアから西進しカスティーリャ王フェルナンド3世王太子アルフォンソ(後のアルフォンソ10世)も軍を率いて接近両軍シャティバ接触し王太子会見求め応じたハイメ1世はアルミスラで王太子会見征服地の取り分国境線決め会談行った1179年両国はカソーラ条約英語版)で征服地の取り分決めていたが、王太子ハイメ1世条約守らず規定外の領域侵入したため、一時交渉決裂する寸前までいったが、王妃ビオランテ王太子側近ビスカヤ領主ディエゴ・ロペス3世・デ・アロ(英語版)とサンティアゴ騎士団長ペラヨ・ペレス・コレア(英語版)が取り纏めた。こうして1244年3月26日締結したアルミスラ条約英語版)で、カスティーリャとの国境画定させた。なお、5年後1249年12月1日ハイメ1世王太子に娘ビオランテを嫁がせている。 アルミスラ条約結んだ後はシャティバ包囲戻り5月城主降伏させた。さらに9月から1245年2月にかけてビアル現在のアリカンテ)も包囲した末に降伏させ、バレンシア王国征服およびレコンキスタ完了した。しかしハイメ1世バレンシア王国離れた後にアル・アスラック(スペイン語版)という男が反乱起こしムスリムたちも同調して反乱拡大したため、それらの鎮圧手間取りバレンシア王国の完全征服1258年でかかった

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