レコンキスタとイングランド輸出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 23:32 UTC 版)
「スペインワイン」の記事における「レコンキスタとイングランド輸出」の解説
Clip スペイン産ワインが人気を博したエリザベス朝イングランド 中世にはスペイン産ワインの国外での知名度は低く、マラガ産のワインが知られる程度だった。中世には輸送機関が発達していなかったため、内陸部で生産されたワインは主に地元で消費され、遠隔地の市場を意識したワイン生産は行われなかった。12世紀から19世紀にはイギリスに輸出される大規模なワイン産地として、ヘレス、マラガ、ポルト(ポルトガル)、マデイラ諸島(ポルトガル)、ボルドー(フランス)、コニャック(フランス)などがあった。キリスト教徒によるレコンキスタの進展によって、再びスペイン産ワインの輸出の可能性が開かれ、大規模な貿易港としてビスケー湾岸にあるバスク地方のビルバオが発展した。ティム・アンウィンの研究によれば、1250年頃にはビルバオからワインが輸出され、フランスのボルドーやラ・ロシェルを出港したワインとともに、イギリス(サウサンプトンやブリストル)やネーデルラントなどに送られた。 1338年にイングランドとフランスの間で百年戦争が勃発し、フランスからイングランドへのワイン輸出が困難になると、イングランド人はキリスト教徒がアラブ人から奪還していたヘレスのワインに着目した。エドワード3世統治下の1364年、イングランドの裁判所は自国で販売されるワインの最高価格を決定している。スペイン産ワインの価格はラ・ロシェル産ワインよりも高額に設定され、ガスコーニュ産ワインと同等とされた。スペイン産ワインと他国産ワインのブレンドを違法とする法が定められていたものの、多くのスペイン産ワインにみられた優れたコクや高いアルコール度数は、冷涼な気候で生産されるフランス産・ドイツ(神聖ローマ帝国)産の「弱い」ワインのブレンド用に重宝された。 16世紀前半にヘンリー8世が王妃のキャサリンと縁を切り、ローマ・カトリック教会からイングランド国教会を分離した際には、カトリック国のスペインはスペインに居住するイングランド人ワイン商人を異端者扱いし、宗教裁判や投獄・火刑などの報復を行っている。1588年のアルマダの海戦ではイングランドのフランシス・ドレークがスペイン無敵艦隊を破り、強奪した2,900樽のヘレス産ワインがイングランドの社交界で高評価を得た。ヘレス産ワインがもっとも人気を誇っていたのは16世紀後半から17世紀前半、エリザベス朝からジェームズ1世の治世である。
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