スペイン無敵艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:02 UTC 版)
総司令官:メディナ=シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマン参謀本部長:ディエゴ・フローレス・デ・ヴァルデス(es) 副司令官:ファン・マルティネス・デ・リカルデ(es) 艦船:130隻 砲数:2,431門 乗組員:2万9,295人(兵士、水夫、漕ぎ手) ポルトガル船隊指揮官:メディナ=シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマン船名トン数砲数備考サン・マルチーニョ(São Martinho) 1000 48 船隊旗艦 サン・ジュァン(São João) 1050 50 船隊副提督艦 サン・マルコス(São Marcos) 790 33 船長ロペス・デ・メンドーサ:9月10日、アイルランド沖で座礁 サン・フェリーペ(São Filipe) 800 40 船長フランシスコ・デ・トレド (en) :8月8日、ニーウポールトとオーステンデの間で放棄。8月9日、哨戒中のネーデルラント連合に捕獲される。 サン・ルイス(São Luís) 830 38 船長アグスティン・メキシア サン・マテウス(São Mateus) 750 34 船長ディエゴ・ピメンテル:ニーウポールトとオーストエンデの間で座礁。8月9日、哨戒中のネーデルラント連合に捕獲される。 サンティアーゴ(Santiago) 520 24 サン・フランシスコ(San Francesco) 961 52 船長ニッコロ・バルトリ:フィレンツェ共和国のガレオン船でポルトガル船隊に編入された。 サン・クリストーヴォン(São Cristóvão) 352 20 サン・ベルナルド(São Bernardo) 352 21 アウグスタ(Augusta) 166 13 ジューリア(Júlia) 166 14 カスティーリア船隊指揮官:ディエゴ・フローレス・デ・ヴァルデス船名トン数砲数備考サン・クリストーバル(San Cristóbal) 700 36 船隊旗艦 サン・フアン・バウティスタ(San Juan Bautista) 750 24 船隊副提督艦 サン・ペドロ(San Pedro) 650 24 サン・ファン(San Juan) 530 24 サンティアーゴ・エル・マヨール(Santiago el Mayor) 530 24 サン・フェリペ・イ・サンティアーゴ(San Felipe y Santiago) 530 24 ラ・アスンション(La Asunción) 530 24 ヌエストラ・セニヨーラ・デ・パリオ(Nuestra Señora del Barrio) 530 24 サン・リンダ・イ・セレドン(San Linda y Celedón) 530 24 サンタ・アナ(Santa Ana) 250 24 ヌエストラ・セニヨーラ・デ・ベゴーニヤ(Nuestra Señora de Begoña) 530 24 ラ・トリニダ・ボヒタール(La Trinidad Bogitar) 872 24 サンタ・カタリーナ(Santa Catalina) 882 24 サン・フアン・バウティスタ(San Juan Bautista) 700 24 ヌエストラ・セニヨーラ・デル・ロサリオ(Nuestra Señora del Rosario) 75 24 サン・アントーニオ・デ・パドゥア(San Antonio de Padua) 75 12 ビスカヤ船隊指揮官:ファン・マルティネス・デ・リカルデ及びアレハンドロ・ゴメス・デ・セグラ(es)船名トン数砲数備考サンタ・アナ(Santa Ana) 768 30 船隊旗艦 エル・グラン・グリン(El Gran Grin) 1160 28 船隊副提督艦:9月24日、アイルランドのクレア島 (en) に座礁 サンティアーゴ(Santiago) 666 25 ラ・コンセプション・デ・スベルス(La Concepción de Zubelzu) 486 16 ラ・コンセプション・デ・フアン・デル・カーノ(La Concepción de Juan del Cano) 418 18 ラ・マグダレーナ(La Magdalena) 530 18 サン・ファン(San Juan) 350 21 ラ・マリーア・ファン(La María Juan) 665 24 8月8日、グラヴリンヌ北方で沈没 ラ・マヌエーラ(La Manuela) 520 12 サンタ・マリーア・デ・モンテマヨール(Santa María de Montemayor) 707 18 マリーア・デ・アギーレ(María de Aguirre) 70 6 イザベラ(Isabela) 71 10 パターチェ・デ・ミゲル・スソ(Patache de Miguel de Suso) 36 6 サン・エステバン(San Esteban) 96 6 ギブスコア船隊指揮官:ミゲル・デ・オケンド (en) 船名トン数砲数備考サンタ・アナ(Santa Ana) 1200 47 船隊旗艦 サン・サルバドール(San Salvador) 958 25 7月31日爆発、8月1日捕獲。 サンタ・マリーア・デ・ラ・ロサ(Santa Maria de la Rosa) 945 26 サン・エステバン(San Esteban) 736 26 サンタ・クルス(Santa Cruz) 680 16 サンタ・マルタ(Santa Marta) 548 20 サンタ・バルバラ(Santa Barbara) 525 12 ドンセーリャ(Doncella) 500 16 サン・ブエナベントゥーラ(San Buenaventura) 379 21 ラ・マリーア・サン・フアン(La Maria San Juan) 291 12 パクタス・サン・ベルナーベ(Paxat San Bernabe) 69 9 パクタス・ラ・アスンション(Paxat la Asuncion) 60 9 ピナーサ・ヌエストラ・セニヨーラ・デ・グアダルーペ(Pinaza Nuestra Senora de Guadalupe) ? ? ピナーサ・マグダレーナ(Pinaza Magdalena) ? ? アンダルシア船隊指揮官:ペドロ・デ・バルデス船名トン数砲数備考ヌエストラ・セニヨーラ・デル・ロサリオ(Nuestra Senora del Rosario) 1150 46 船隊旗艦8月1日捕獲。 サン・バルトロメ(San Barolome) 976 27 サン・フランシスコ(San Francisco) 915 21 ドゥケーサ・サンタ・アナ(Duquesa Santa Ana) 900 23 ラ・コンセプション(La Concepcion) 862 20 サン・フアン・バウティスタ(San Juan Bautista) 810 31 サンタ・カタリーナ(Santa Catalina) 730 23 サンタ・マリーア・デ・フンカル(Santa Maria de Juncal) 730 20 ラ・トリニダ(La Trinidad) 650 13 サン・ファン・デ・ガルガリン(San Juan de Gargarin) 569 16 エスピリトゥ・サント。(Espiritu Santo.) ? ? レパントまたはイタリア船隊指揮官:マルティン・ベルテンド(es)船名トン数砲数備考ラ・レガツォーナ(La Regazona) 1249 30 船隊旗艦 ラ・トリニダ・バレンセーラ(La Trinidad Valencera) 1100 42 ラ・トリニダ・デ・スカラ(La Trinidad de Scala) 900 22 ラ・ジュリアーナ(La Juliana) 86 32 ラ・ラータ・サンタ・マリア・エンコロナーダ(La Rata Santa Maria Encoronada) 834 26 サン・ニコラス・プロダネーリ(San Nicolas Prodaneli) 820 35 サン・ファン・デ・シチリア(San Juan de Sicila) 80 26 ラ・ラビア(La Lavia) 728 25 ラ・アヌンシアーダ(La Anunciada) 703 24 サンタ・マリーア・デ・ビソン(Santa Maria de Vison) 666 18 ナポリ・ガレアス船隊指揮官:ウーゴ・デ・モンカーダ船名トン数砲数備考サン・ロレンソ(San Lorenzo) ? 50 船隊旗艦 スニガ(Zúñiga) ? 50 ラ・ジローナ(La Girona) ? 50 アイルランド北部アントリムで座礁。 ナポリターナ(Napolitana) ? 50 ポルトガル・ガレー船隊指揮官:ディエゴ・メドラノ船名トン数砲数備考カピターナ(Capitana) ? 5 プリンセサ(Princesa) ? 5 ディアナ(Diana) ? 5 バザーナ(Bazana) ? 5 輸送船団 指揮官:ファン・ロペス・デ・メディナ:23隻 小型船船団 指揮官:アントーニオ・ウルタード・デ・メンドーサ (en) :小型帆船22隻 ※スペイン船のトン数はスペイン式計算によるもので、イングランド式計算よりも25%以上小さい。
※この「スペイン無敵艦隊」の解説は、「アルマダの海戦」の解説の一部です。
「スペイン無敵艦隊」を含む「アルマダの海戦」の記事については、「アルマダの海戦」の概要を参照ください。
スペイン無敵艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:40 UTC 版)
「英西戦争 (1585年-1604年)」の記事における「スペイン無敵艦隊」の解説
詳細は「アルマダの海戦」を参照 1586年、西インド諸島へ航海したドレークは、サントドミンゴ、カルタヘナそしてフロリダのセントオーガスティンなどを襲撃掠奪した。 1587年2月8日に前スコットランド女王メアリーが処刑された。この事件はカトリックを憤慨させ、そしてメアリーのイングランド王位請求権は(彼女自身の意思により)フェリペ2世に委ねられた。メアリー処刑の報復のためにフェリペは、イングランド征服と、その王位にカトリック王家を就けることを誓った。フェリペ2世はイングランド侵攻を計画したが、4月19日にドレークの艦隊がカディス港を襲撃して、スペイン船5隻を焼き、30隻を鹵獲したため妨げられてしまう。この事件は「スペイン王の髭焦がし」 (Singeing the King of Spain's Beard) と呼ばれる。 7月29日、フェリペは教皇からエリザベスを打倒し(エリザベスは教皇ピウス5世によって破門されている)、彼が選ぶ者をイングランド王位に就ける許可を受けた。教皇シクストゥス5世は、この事業の財源として十字軍税の徴収を認めている。シクストゥス5世は、スペイン軍がイングランド本土に到着した際の更なる特別補助金も約束した。 フェリペ2世はイングランド侵攻のために約130隻の船(ガレオン船65隻、補給船54隻、ガレー船8隻)、8,000の兵士そして18,000の水夫を集めた。この艦隊はスペイン人からは「最高の祝福を受けた大いなる艦隊」(Grande y Felicísima Armada)と呼ばれ、イングランド人は「無敵艦隊」(Armada Invencible)と呼び、後者の呼称が広く知られている。メディナ=シドニア公が総司令官に就任したが、彼は海戦経験皆無の人物だった。対するイングランドは王室所属の軍艦34隻と武装商船や私掠船をかき集めて、合計197隻を揃えた。艦隊司令官にはチャールズ・ハワード卿 (en) 、副司令官にはドレークが就任した。 1588年5月にリスボン港を出帆した無敵艦隊は、イングランド侵攻のためのパルマ公率いる陸軍を乗船させるべくネーデルラントへ向かった。しかし、英仏海峡に入った無敵艦隊は、イングランド海軍の攻撃を繰り返し受け、そしてカレー沖での火船攻撃を受けて混乱状態に陥り、続く8月8日のグラヴリンヌ海戦での敗北により、作戦続行を断念して北海方向へ退避した。無敵艦隊は本国へ帰還すべくスコットランド沖を航行したが、ここで悪天候によって甚大な被害を蒙ってしまう。スペインに帰り着いた船は約半数の67隻で、さらにその半数が使用不能な状態になっていた。 無敵艦隊の撃退は海上戦闘に革命をもたらし、イングランドの水夫たちに貴重な航海の経験を与えた。加えて、イングランド人はスペインに対する私掠行為を継続し、そしてネーデルラントとフランスにおけるフェリペ2世の敵たちに増援を送り込み続けることができた。プロテスタントは無敵艦隊の敗北を、神が彼らの信条を助けている証であると理解した。(神は風を起こし、そして彼らは追い散らされた参照)
※この「スペイン無敵艦隊」の解説は、「英西戦争 (1585年-1604年)」の解説の一部です。
「スペイン無敵艦隊」を含む「英西戦争 (1585年-1604年)」の記事については、「英西戦争 (1585年-1604年)」の概要を参照ください。
- スペイン無敵艦隊のページへのリンク