スペイン海上帝国との抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 14:45 UTC 版)
「好感情の時代」の記事における「スペイン海上帝国との抗争」の解説
米英戦争後に合衆国が直面した重要な外交問題は、崩壊を始めたスペインの新世界帝国だった。スペインの「新世界」植民地の多くは、「ナポレオン戦争」での欧州の混乱を利用して独立戦争を始めていた。中米でのこれらの革命は、米国白人の強い共感を呼んだが、多くのアメリカ白人は、スペインの「新世界」植民地でヨーロッパの列強が君主秩序を回復するかもしれないことを恐れていた。 最大の火種はスペインの支配下にあったフロリダ州だった。海賊、黒人逃亡奴隷、およびインディアンはこの地を拠点に、ジョージア州の入植地を襲撃していた。合衆国は1817年12月に、フロリダのセミノール・インディアンを黙らせるためにはアンドリュー・ジャクソン将軍を送り込んだ。ジャクソンは、セミノール族インディアンを女・子供を問わず皆殺しにし、村を破壊し、スペイン総督を打ち倒した。彼はまた、セミノール人に味方したイギリス人2人を裁判にかけ処刑した。 ジャクソンの行為は合衆国議会で騒動になり、スペインはジャクソンの処罰を要求した。結局アダムズ大統領は、フロリダ州への襲撃は、「正当な行為であった」と宣言した。スペインは1819年の「アダムズ=オニス条約」で米国にフロリダ州を譲った。その見返りに、米国はスペインに500万ドルを損害賠償することで合意した。
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