スペイン植民地時代とイギリス人の入植
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 15:48 UTC 版)
「ベリーズの歴史」の記事における「スペイン植民地時代とイギリス人の入植」の解説
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照 1531年以降、モンテホの部下たちスペイン人との争いの中で、「ベリーズ」のマヤ人の勢力は17世紀初頭にかけて徐々に衰退していく。「ベリーズ」の地はグアテマラの総督府の管轄に組み入れられたものの、ペテン低地の密林地帯の彼方にある辺境の地であったため、グアテマラ総督の施政権が事実上及んでいなかった。そのため、1638年にイギリスの武装船団が到達して、ベリーズ・シティ沖にある小島セント・ジョージに勝手に入植をはじめた。グアテマラ総督府は、軍隊を派遣して一時的にイギリス人を追放したが、1660年には、イギリス船団の首領バルトロマイ・シャープがマホガニーやアカミノキというマメ科の樹木の伐採をはじめて、その木材をイギリス本国に売り始めた。ベリーズ定住の既成事実が世代交代を重ねてつくられていったので、イギリス政府は、外交の場にこの既成事実を提出、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じてスペインに妥協を強いて、「ベリーズ」を自由に使用収益させることを認めさせた。1784年以後、人口増大などの理由で、対岸のベリーズ・シティに移転した。1798年にイギリス入植者たちがスペイン軍を破って事実上のイギリス植民地となった。
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